ビートルズ特集


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エリック・クラプトン/Eric Clapton

 

 1945年生まれ、英国出身のブルース・ロック・ギタリスト。高度なテクニックと創造性豊かなフレージングによって神格化されたロック界の頂点に立つギタリストの一人である。

 15歳でギターを弾き始めたエリックは、ロンドンでザ・ルースターズと名乗るパーティ・バンドに参加し、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートする。その後、ヤードバーズのリード・ギタリストとしての地位 を手に入れたエリックは、グループとともにクロウダディ・クラブ (ローリング・ストーンズアニマルズがデビューのきっかけを掴んだクラブとしても知られる)へ出演する機会に恵まれ、1964年にアルバム "Five Live Yardbirds" のリリースによって念願のレコード・デビューを果 たす。

 ヤードバーズでのプレイによってカリスマ的なギタリストとしての人気を高めつつも、ポップ路線を歩み始めたグループとの音楽観の違いを感じ始めていたエリックは、やがてヤードバーズからの脱退を決意し、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズへ加入する (ヤードバーズは、エリックの後任のギタリストとしてジェフ・ベックを迎え入れている)。

 よりピュアなブルースのプレイを求めてブルースブレイカーズへ移籍したエリックであったが、やがて黒人ミュージシャンのコピーを中心とするギター・プレイに飽き足らなくなり、より刺激的な音楽スタイルを追求するため、ベーシストのジャック・ブルース、ドラマーのジンジャー・ベーカーとともにクリームの結成に至る。(ブルースブレイカーズ在籍時代のレコーディングとしては、1966年の "John Mayall & The Blues Brakers With Eric Clapton" が名盤として名高い)

 1966年に「フレッシュ・クリーム("Fresh Cream")」によってデビューしたクリームは、各メンバーの高い演奏能力に裏打ちされたインプロビゼーション主体のスタイルによって従来のブルース・ロックとは一線を画する音楽形式を打ち出すが、結成からわずか2年を経て解散に追い込まれる。

 その後、元トラフィックスティーヴ・ウィンウッド(ボーカル&キーボード)、元ファミリーのリック・グレッチ(ベース)、元クリームのジンジャー・ベーカー(ドラムス)とともにスーパーグループと呼ばれるブラインド・フェイスを結成したクラプトンであったが、このグループも、一枚のアルバム (1969年リリースの「スーパー・ジャイアンツ("Blind Faith")」) とただ一度の米国ツアーを残して解散に至っている。

 クリーム、ブラインド・フェイスのいずれもが、その音楽面 においても、また、大物ミュージシャンの集合体というコマーシャルなアイディアにおいても時代を先導したロック・バンドであったことは否定できない。しかしながら、その一方で、メンバー間のエゴの衝突や周囲の過大な期待感によるプレッシャーなど、スーパーグループとしての限界を示す先例となったことも事実であった。

 思いがけず短命に終わったスーパーグループ時代ではあったが、この間に繰り返し米国ツアーに参加していたクラプトンは、リズム&ブルースのルーツとも言うべき米国南部の音楽へ目を向ける。デラニー&ボニーレオン・ラッセルデュアン・オールマンら米国南部のロック・ミュージシャンとの交流の機会を得たエリックは、南部色の濃い一枚のソロ・アルバム (1970年の「エリック・クラプトン・ソロ」) を経て、1970年にデレク&ザ・ドミノスのクレジットによる「いとしのレイラ」("Layla And Other Assorted Love Songs")を発表する。

 デラニー&ボニーのサポート・メンバーにデュアン・オールマンを加えた顔ぶれとともにレコーディングを行った「いとしのレイラ」は、サザン・フレイバー満載のブルース・ロック・アルバムであるとともに、エリックとオールマンという才能あふれる二人のギタリストによる絶妙のギター・アンサンブルを収めたアルバムとしても評価が高い。リリースからおよそ30年を経た今日においても、この作品をロック史に残る傑作アルバムの一つと認める批評家は決して少なくないのである。 

 その後、ジミ・ヘンドリックス、デュアン・オールマンの訃報に相次いで接したクラプトンは、そのショックもあってドラッグとアルコールに溺れる日々を送り、音楽シーンからは引退も同然の時期が続く。エリックの本格的なカムバックは、1974年の「461オーシャン・ブールバード("461 Ocean Boulevard")」のリリースによってようやく果たされることとなる。

 トム・ダウドにプロデュースを委ねた「461オーシャン・ブールバード」の発表により、エリックは、ギタリストとしての存在感に加え、ソングライティング、ボーカル・パートを含めたトータルなミュージシャンとしての新たなスタートを切ることとなった。その後、70年代のレイドバック、80年代のフィル・コリンズの起用、90年代のアンプラグドによるアコースティック・ブームの火付け役など、つねに時代を見据えた新たなチャレンジを試みる一方で、彼の音楽的ルーツであるブルース・ミュージックに対してはつねに敬虔な姿勢を崩してはいない。  
 
 エリックは、1986年にセントルイスでおこなわれたチャック・ベリーの60歳バースデイ記念コンサートにゲスト・パフォーマーとして出演している(このコンサートを収録した映像は、映画「ヘイル!ヘイル!ロックンロール」の中で公開された)。若いころ、黒人音楽へのコンプレックスから近くへ黒人がやってきただけで精神的なパニックに陥ったと言われるクラプトンが、黒人ミュージシャンのチャック・ベリーから "A man of blues!" と紹介された時、彼はいったい何を思ったのであろうか。 

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