ジョージのジャパン・ツアー
1991年12月1日の横浜アリーナを皮切りに、大阪、名古屋、広島、福岡の各地をめぐり、(再び大阪をはさんで) 12月14、15、17日の3日間におよぶ東京ドーム・コンサートで締めくくられたジョージ・ハリスン&エリック・クラプトンのジョイント・ツアー。
同年3月に不慮の事故によって最愛の息子を失うという不幸に見舞われたエリック・クラプトンを励ますため、ジョージがエリックへかけた電話で「一緒にツアーへ出よう」と誘ったことが発端となって実現したプロジェクトと言われる。(なお、クラプトンが息子を失った痛みを「ティアーズ・イン・ヘヴン」というナンバーに託してリリースした結果 、この名曲が歴史に残るロング・セラーとなったことは記憶に新しい)
80年代から積極的にコンサート活動を続けていたクラプトンに対し、ボブ・ディラン、ロイ・オービソンらとトラベリング・ウィルベリーズを結成するなど、それなりの活躍を見せていたジョージではあったが、本格的なツアーとなると1974年の全米ツアー以来、実に17年ぶりのことであった。
今回のジョイント・ツアーが日本公演のみのプロジェクトとして実現した背景には、17年前の全米ツアーで必ずしも満足できる手ごたえをつかんだわけではなかったジョージに、手厳しい批評家やオーディエンスの目にさらされる米国やヨーロッパでのツアーを回避しようとの思惑があったとも言われている。
一般的には、「ジョ−ジの生真面目な人柄が伝わる良いコンサート」のように好意的な批評をもって語られることの多い本ツアーではあるが、アンコールで披露されたお約束の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス ("While My Guitar Gently Weeps")」にしても、87年のプリンシズ・トラストにおける二人のパフォーマンスと比較して、やや消化不良気味の出来映えであったことは否定できない。「日本のみ」の裏事情に思いが至るのも、無理のないところであろうか。
このツアーにおけるレコーディングは、"George Harrison With Eric Clapton And His Band/Live In Japan" のタイトルで、ジョ−ジが自ら設立したレーベル、ダークホースから1992年にライブ・アルバムとしてリリースされている (ジョージ・ハリスンとジェフ・リンの共同プロデュースによる)。
最後に、この時のツアーに同行したバンドのメンバーを記しておきたい。メンバーの全員が、80年代後半から90年代にかけて、クラプトンのツアーやアルバムに参加しているお馴染みの顔ぶれである。
なお、パーカッションのレイ・クーパーは、トラベリング・ウィルベリーズの全2枚のアルバムに加え、そのメンバーとしても活躍したロイ・オービソンのラスト・アルバム「ミステリー・ガール」(1989年) に参加している。また、キーボードのチャック・リーヴェルは、オールマン・ブラザーズ・バンドのメンバーとして活躍したほか、ミック・ジャガーの「シーズ・ザ・ボス」(1987年) やローリング・ストーンズの「ヴードゥ・ラウンジ」(1994年) でも味のあるプレイを聴かせた実力派のピアニストである。
メンバー: ネイザン・イースト (ベース、ボーカル)、スティーブ・フェローン (ドラムス)、チャック・リーヴェル (キーボード)、グレッグ・フィリンゲンス (キーボード)、レイ・クーパー (パーカッション)、アンディ・フェアウェザー・ロウ (ギター)、テッサ・ニルス (ボーカル)、ケイティ・キスーン (ボーカル)
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