ロック名曲セレクション


ウィッピング・ポスト
  オールマン・ブラザーズ・バンド

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Whipping Post
リリース 1969年
作詞・作曲 グレッグ・オールマン
プロデュース エイドリアン・バーバー
演奏時間 5分16秒
収録アルバム 「オールマン・ブラザーズ・バンド」(カプリコーン/1969年)
ミュージシャン デュアン・オールマン(ギター)、グレッグ・オールマン(ボーカル、オルガン)、ディッキー・ベッツ(ギター)、ベリー・オークリー(ベース)、ブッチ・トラックス(ドラマス)、ジェイ・ジョハニー・ジョンスン(ドラムス)

 

[レビュー]

 60年代の終りに米国南部で産声をあげたサザン・ロックの源流として、また、70年代アメリカン・ロックのシンボル的存在として高い人気を誇るオールマン・ブラザーズ・バンドは、デュアン(ギター)とグレッグ(ボーカル、オルガン)のオールマン兄弟に、ディッキー・ベッツ(ギター)、ベリー・オークリー(ベース)、ブッチ・トラックス(ドラマス)、ジェイ・ジョハニー・ジョンスン(ドラムス)の4人を加えて1969年に米国南部ジョージア州のメイコンで結成された。

 バンド結成のキー・パーソンとなったデュアン・オールマンは、家族とともに少年期を過ごしたフロリダ州デイトナで地元のガレージ・バンド、エスコーツに参加してミュージシャンのキャリアをスタートする。その後、このグループはオールマン・ジョイズ、さらにアワーグラスと名前を変えて活動を続けるが(アワーグラスには弟のグレッグが参加)、1枚のアルバムもリリースすることなく1968年にバンドは解散を迎える。

 シンガーとしての活躍の場を求めてロサンゼルスへ向かったグレッグと別 れ、アラバマ州のマッスル・ショウルズでセッション・ギタリストとしての職を見い出したデュアン・オールマンは、ウィルソン・ピケットアレサ・フランクリン、キング・カーティスらのアルバムに参加し、ロックあるいはソウル史上に残る優れた名演を多く残すこととなる。

 そして、これらのレコーディング・セッションの成果 を聞き付けた元オーティス・レディングのマネージャー、フィル・ウォルデンに声をかけられたデュアンは、自らのグループの結成を志して弟のグレッグを呼び寄せ、また、前記のメンバーを集めてオールマン・ブラザーズ・バンドをスタートさせる。彼らは、フィル・ウォルデンが立ち上げたばかりのカプリコーン・レーベルからアルバム「オールマン・ブラザーズ・バンド」(1969年)をリリースして遂にレコード・デビューを果 たすのである 。

 本ナンバー「ウィッピング・ポスト」は、デビュー・アルバム「オールマン・ブラザーズ・バンド」のエンディングを飾る曲目である。また、グループのステージ・レパートリーとしてリリース後に何度もライヴ・コンサートのハイライトを務めることとなる「ウィッピング・ポスト」は、初期のオールマン・ブラザーズ・バンドを代表する傑作ナンバーの一つと言えるだろう。

 曲は、シンコペーションを効かせたベース・ラインのイントロでスタートして2本のギターによるフレージングとツイン・ドラムスが展開するリズム・パートへと導かれる。さらに間をあけることなくオルガンの伴奏が追加され、ほぼ同じタイミングでグレッグのボーカルがスタートして曲の本編へとなだれ込んでいく。

 一般にサザン・ロックという言葉からは、ブルース・フィーリングを生かしたディープなリズムとシャープなギター・サウンドを兼ね備えたロックという印象を受けがちであり、オールマン・ブラザーズ・バンドのサウンドが、その特徴を一通 り備えていることも事実である。しかしながら、彼らの音楽上の個性は決してそれだけにとどまるものではない。

 オールマン・ブラザーズ・バンドのサウンドは、ジャズのフィーリングを感じさせるツイン・ドラムスがアクティブに動くことで音の隙間を埋め、その結果 、2本のギターがいずれもリズム・パートから解放されたかのようにリード楽器の役割に専念していくところにその大きな特徴が見い出される。加えて、グレッグのオルガンとボーカルがギターのフレーズに対してユニゾンあるいはハーモニーのパートを構成することで楽曲全体 が重層的な構造を持ちうるとともに、多様な変化に富む豊かな旋律を生み出すことを可能にしている。

 オールマン・ブラザーズ・バンドは、一つの楽曲に30分以上の長い時間をかけるライヴ・パフォーマンスで次第にファンの熱狂的な人気を集めていくが、彼らのライヴ・バンドとしての成長のプロセスを考えるうえで上記のような音楽上の特徴が重要な役割を果 たしていることは間違いないところであろう。

 まだ荒削りな印象を残すデビュー・アルバム「オールマン・ブラザーズ・バンド」の中にあって、本ナンバー「ウィッピング・ポスト」は、その後の彼らの成功を予感させる独特の音楽スタイルの萌芽を強く感じさせる楽曲である。噴き上がる焔のように流れ出るデュアンのギター・ソロ、これを支えつつもユニークなフレージングを響かせるディッキーのギター、そしてエネルギッシュだが独自のソウルを感じさせるグレッグのボーカル・ラインなどメンバー各自のテクニカルな魅力も含め、「ウィッピング・ポスト」がアメリカン・ロック史のうえでサザン・ロックの誕生を高らかに告げた名曲であることは否定できないように思われるのである。

 

[モア・インフォメーション]

 オールマン・ブラザーズ・バンドは、デビュー・アルバムに続き、1970年にセカンド・アルバムの「アイドルワイルド・サウス」("Idlewild South")を発表する。デレク&ザ・ドミノスクラプトンのアルバム・プロデュースで知られるトム・ダウドをプロデューサーに迎えて制作された「アイドルワイルド・サウス」は、バンドの音楽性をより明確に打ち出すとともに「ミッドナイト・ライダー」と「エリザベス・リードの追憶」という彼らのライヴでの定番となる2曲の代表曲を生み出している。

 さらに、今や伝説とも言えるライヴ・アルバムの「フィルモア・イースト・ライヴ」("At Fillmore East"/1971年)をリリースしてファンを熱狂させたオールマン・ブラザーズ・バンドだが、続くアルバム「イート・ア・ピーチ」("Eat A Peach"/1972年)の制作中にデュアン・オールマンがバイクの事故によって他界するという突然の悲劇に見舞われてしまう。

 残されたメンバーの尽力で「イート・ア・ピーチ」は完成を迎えるが(全9曲が収録されたアルバムの中でデュアンの参加は6曲にとどまる)、直後にベーシストのベリー・オークリーがまたも不幸なバイク事故で急逝するというアクシデントがグループを直撃する。

 相次いで二人のオリジナル・メンバーを失ったオールマン・ブラザーズ・バンドは、ピアニストのチャック・リーヴェル、ベーシストのラマー・ウイリアムスを新メンバーに迎えてグループの存続をはかる。その後も「ブラザーズ&シスターズ」("Brothers & Sisters"/1973年)や「ウィン・ルーズ・オア・ドロウ」("Win, Lose Or Draw"/1975年)などのアルバムを発表して活動を続けるオールマン・ブラザーズ・バンドだが、デュアンを失ったことによる音楽上の変化は否定し難く、以後のグループのサウンドはディッキー・ベッツの主導のもとで次第にポップなカントリー色を強めていくのである。

 ・関連ページ オールマン・ブラザーズ・バンドのリンク集

 ・関連ページ 洋楽ロック総合サイト集アメリカン・ロックへ(サザン・ロックの特集サイトを含む)

 

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