団結しよう | |
デラニー&ボニー&フレンズ |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Get Ourselves Together |
リリース | 1969年 |
作詞・作曲 | ブラムレット、カール・レイドル |
プロデュース | デラニー・ブラムレット、デビッド・アンダール |
演奏時間 | 2分25秒 |
収録アルバム | 「オリジナル・デラニー&ボニー」(エレクトラ/1969年) |
ミュージシャン | デラニー・ブラムレット(ギター、ボーカル)、ボニー・ブラムレット(ギター、ボーカル)、レオン・ラッセル(ピアノ、ギター)、ジェリー・マッギー(ギター)、ボビー・ウィトロック(キーボード)、ドクター・ジョン(キーボード)、カール・レイドル(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ジム・プライス(トランペット、トロンボーン)、ボビー・キーズ(サックス)、リタ・クーリッジ(ボーカル)[アルバム全体のクレジットを転記] |
[レビュー]
デラニー・ブラムレットとボニー・ブラムレットの夫婦デュオとして知られるデラニー&ボニーは、60年代の後半からカントリーやブルースの影響を色濃く感じさせるロックを展開してサザン・ロックやスワンプ・ロックの源流を成し、また、レオン・ラッセル、エリック・クラプトンらのビッグ・ネームと競演することで同時代の多くの英米ミュージシャンに影響を与えてその後のレイドバック・ブームの布石ともなったアーティストである。
デラニー・ブラムレットは、1939年、米国ミシシッピ州北部の生まれ。少年時代から黒人音楽の影響を受けてギターに親しんでいたデラニーは、60年代にロサンゼルスヘ移住してミュージシャンとしての生活をスタート。やがてシンドッグスというバンドのメンバーとしてテレビ番組にも出演し始めた彼は、アイク&ティナ・ターナーのバック・コーラスをつとめていた女性シンガー、ボニー・ブラムレットに出会う。
ボニー・ブラムレット(結婚前の本名はボニー・ライン・オファレル)は、米国イリノイ州の出身、1946年頃の生まれ。60年代の初めからアルバート・キングなどブルース・ミュージシャンのバック・コーラスをつとめていたボニーは、やがてアイク&ティナ・ターナーのコーラス・メンバーに加わり彼らとともにロサンゼルスへ移住。一足早くロサンゼルスでシンドッグスのメンバーとして活動していたデラニー・ブラムレットと知り合う。
目指していた音楽が重なり合うこともあって意気投合した二人は、出会ってからわずか5日で結婚に至りロック・デュオのデラニー&ボニーを結成する。1969年にエレクトラからアルバム「オリジナル・デラニー&ボニー」をリリースした二人は、「デラニー&ボニー&フレンズ」のクレジットで夫婦デュオとしての事実上のレコード・デビューを果たすのである。
(「オリジナル・デラニー&ボニー」の前にアルバム「ジェネシス」がGNPから発表されているが注目度は低かった。また、68年ころにはメンフィスのスタックス・スタジオでブッカー・T&ザMGズをバックにアルバム「ホーム」がレコーディングされているがリリースには至っていない)
本ナンバー「団結しよう」は、アルバム「オリジナル・デラニー&ボニー」のオープニングを飾る曲目である。シングル・ヒットを記録したわけではないものの二人のデュエット・ナンバーとしての性格を前面に押し出した感のある「団結しよう」は、デビュー直後のデラニー&ボニーの音楽性を象徴する彼らの代表曲の一つと言えるだろう。
曲は、しなやかなフレーズを描くギターのイントロでスタートして躍動感あふれるベース・ラインとオブリガート的に挿入されるエレクトリック・ギターが支える二人のデュエット・パートへと引き継がれる。中間の展開部では二人の応答歌のパートを短く挟んで表情に変化を加え、さらに後半の主題部分に至ると厚みのあるブラス・サウンドが主旋律を引き立てていかにもサザン・ソウルらしいムードを高めていく。
デラニー&ボニーの楽曲は、その多くが比較的シンプルなフレーズのリフレインによって構成され、かつ、テクニカルなソロ・プレイよりもバンド全体が一体となって生み出すホットなグルーヴ感にその特徴がある。心地よくエコーを効かせた二人のソウルフルなハーモニーを気心の知れたセッション・メンバーが暖かく包み込むかのようにバックアップする「団結しよう」からは、彼らの音楽上の個性が十分に感じ取れると言ってよいだろう。
[モア・インフォメーション]
アルバム「オリジナル・デラニー&ボニー」は、「団結しよう」の他にもドクター・ジョン作品の「闘いが終るとき」やトラディショナル・ナンバーの「十字架の兵士」、また、アレサ・フランクリンの名唱で知られる「ドゥ・ライト・ウーマン」(オリジネイターであるダン・ペンがこの曲を含むアルバム「ドゥ・ライト・マン」を1994年にリリース)などの各曲を含み、音楽的な特徴に加え、その楽曲構成においてもデラニー&ボニーの実質的なデビューを飾るにふさわしい作品となっている。
その後、デラニー&ボニーはエリック・クラプトンと元トラフィックのデイヴ・メイソンをメンバーに加えたイギリス・ツアー収録のアルバム「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」("On Tour With Eric Clapton"/1970年)を発表するが、当時すでにロック界のトップ・ギタリストとしての地位を確立していたクラプトンの人気も手伝ってこのアルバムは全米チャートのトップ30入りを果たすとともにデラニー&ボニーの注目度をさらに高めることとなる。
引き続き「デラニーよりボニーへ」("To Bonnie From Delaney/1970年)や「モーテル・ショット」(Motel Shot/1971年)などのアルバムを発表してスワンプ・ロック系のサウンドを追求し続けるデラニー&ボニーだが、1972年に二人の結婚生活が破局を迎え、これに伴ってロック・デュオとしての活動にもピリオドが打たれる。
なお、優れたロック・ボーカリストとしても評価の高いデラニーとボニーはそれぞれソロ・シンガーとしても活躍し、デラニー・ブラムレットは「サムシングズ・カミング」("Something's Coming/1973年)ほか複数のソロ・アルバムをリリースする。また、ボニー・ブラムレットは「スウィート・ボニー・ブラムレット」("Sweet Bonnie Blamlett"/1973年)や「イッツ・タイム」("It's Time"/1975年)などのソロ・アルバムを発表しているほか、白人女性としては屈指のソウル系シンガーとしてレオン・ラッセル、リトル・フィート、オールマン・ブラザーズ・バンド、ジョー・コッカーなど数多くのアーティストのレコーディングに招かれ、その素晴らしい歌声を披露している。
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