ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ | |
by ジェネシス |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Watcher Of The Skies |
リリース | 1972年 |
作詞・作曲 | ジェネシス |
プロデュース | デヴィッド・ヒッチコック |
演奏時間 | 7分10秒 |
収録アルバム | 「フォックストロット」(カリスマ/1972年) |
ミュージシャン | ピーター・ガブリエル(ボーカル)、スティーヴ・ハケット(ギター)、マイケル・ラザフォード(ベース)、トニー・バンクス(オルガン、メロトロン)、フィル・コリンズ(ドラムス、パーカッション) |
[レビュー]
1970年代前半のイギリスでプログレッシブ・ロックを代表するグループとして活躍し、ピーター・ガブリエルとフィル・コリンズの2人のスーパースターを生み出したことでも知られるジェネシスは、1966年にパブリック・スクールの学生たちによって結成され、1969年にアルバム「創世記」("From Genesis To Revelation")をリリースして事実上のデビューを飾る(前年の1968年にはシングル盤のみをリリースしている)。
アルバム・デビュー時のメンバーは、ピーター・ガブリエル(ボーカル)、トニー・バンクス(キーボード)、アンソニー・フィリップス(ギター)、マイク・ラザフォード(ベース)、ジョン・シルヴァー(ドラムス)の5人。彼らはいずれも英国サリー州、チャーターハウス・パブリック・スクールの出身者だが、アルバム・デビューのきっかけを作ったプロデューサーのジョナサン・キングも同じパブリック・スクールの卒業生である。ジェネシスのデビューには、チャーターハウス・コネクションが大きな役割を果 たしたと言えるだろう。
デビュー作においては、いまだ音楽の方向性が定まらない印象を与えていたジェネシスだが、セカンド・アルバムの「侵入」(1970年/"Trespass")の頃から次第にプログレ系のサウンドが色濃く現れ始め、その傾向はサード・アルバム「怪奇骨董音楽箱」(1971年/"Nursery Cryme")において決定的となる。
(「怪奇骨董音楽箱」のレコーディング時から、離脱したアンソニー・フィリップスらに代わってギタリストのスティーヴ・ハケットとドラマーのフィル・コリンズが加わり、パフォーマンス・レベルにおいてもグループの能力は一段と高められることとなった)
さらに「怪奇骨董音楽箱」の後を受けてジェネシスが発表した通算4枚目のアルバムが「フォックストロット」(1972年)であり、本ナンバー「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」はアルバム「フォックストロット」のオープニングを飾る曲目である。
「フォックストロット」は、サウンドの展開における厚みと複雑さ、歌われる歌詞の独自性などジェネシスの音楽的な特徴がさらにそのユニークさを増したことで彼らの代表作に挙げられるとともに、70年代前半におけるイギリスのプログレッシブ・ロック・ブームを象徴するアルバムの一つとして高い評価を受ける。そして、「フォックストロット」に収録された本ナンバー「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」は、プログレ的なサウンドへの志向性をあらわにするジェネシスの音楽的な特徴とその魅力が十分に詰め込まれた楽曲と言える。
曲は、西欧の教会音楽を思わせるクラシカルなメロトロン(キング・クリムゾンより譲り受けたと言われる)の響きで幕を開けるが、やがて重壮なメロトロンの旋律に重なり合うようにしてアップ・テンポのリズム・トラックが走り出し、これを受けてピーター・ガブリエルのボーカル・パートがスタートする。
ガブリエルが歌う主旋律はダブル・トラック・ボーカルによる第一主題とシングル・トラックで歌う第二主題を交互に繰り返すことで曲の展開にメリハリをつけ、その間をギター、キーボード、ベース・ラインを駆使する複雑なアレンジがつなぐことで曲のイメージを豊かに広げていく。
イエスやキング・クリムゾンのように各プレイヤーの高度なテクニックをベースに楽曲全体を積み上げるプログレ・バンドとは異なり、ジェネシスのサウンドは、個々の主題をシンプルにつなぎながらも、音を重ねるアレンジの複雑さによって曲の展開に工夫を凝らしていく点にその特徴が見い出される。また、各主題間のつながりも、高層建築のような精密さをもってロジカルに組み立てられるのではなく、より感覚的に自在な表現のなかでメロディが綴られている印象があり、それが聴き手に対してあたかも手作りのオルゴールを聴いているかのような独特の素朴感を伴う楽曲全体のイメージを植え付けていくのであろう。
「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」は、上記のいずれの意味からもプログレ・サウンドとしての全盛期を迎えていたジェネシスを代表する曲目として忘れがたい余韻を残すナンバーと思われるのである。
[モア・インフォメーション]
アルバム「フォックストロット」をジェネシスの最高傑作に押し上げている大きな要因の一つは、このアルバムに収録された22分に及ぶ大曲「サパーズ・レディ」である。7つのパートによって構成される組曲形式の「サパーズ・レディ」は、アレンジの緻密さ、ピーター・ガブリエルによるボーカルの豊かな表現力、個々の主題の個性とその美しさなど、いずれの要素においてもこの時期のジェネシスが到達し得たサウンドの最高峰とも言うべき内容を誇り、また、プログレッシブ・ロックにおける大曲主義への流れを決定づけたという意味においても重要な楽曲と考えられる。
ジェネシスは、その後もアルバム「月影の騎士」(1973年/"Selling England By The Pound")やライヴ・アルバムの「ジェネシス・ライヴ」(1973年/"Genesis Live")をリリースしてプログレ・バンドとしての活動を継続するが、1974年11月に発表された2枚組のアルバム「眩惑のブロードウェイ」("The Lamb Lies Down On Broadway")を最後にボーカリストのピーター・ガブリエルがグループからの脱退を表明する。
曲作りからステージ・パフォーマンスのアイディアに至るまで強烈な個性とリーダーシップでグループを牽引したガブリエルの離脱によってジェネシスは存続の危機を迎えるが、彼らは新たなメンバーを採用することなくフィル・コリンズをリード・シンガーへ抜てきしてこの局面 を乗り越えていく。
ガブリエル脱退後のジェネシスは、当初こそプログレ的なサウンドへのこだわりを見せたものの、やがてフィル・コリンズのリーダーシップのもとでポップ・ロック・バンドへ転身し、「そして三人が残った」(1978年/"And Then There Were Three")、「アバカブ」(1981年/"Abacab")などのヒット・アルバムを生み出し、1986年には5曲のシングル・ヒットを含む大ヒット・アルバムの「インビジブル・タッチ」("Invisible Touch")をリリースして文字どおりのスーパー・グループへと成長を遂げた。
一方、ジェネシスを離れたピーター・ガブリエルは1977年のアルバム「ピーター・ガブリエルI」でソロ活動を開始し、「ピーター・ガブリエルIII」(1980年)以後の作品ではエスニックなリズム感覚を取り入れたワールド・ミュージックに挑戦する姿勢をも示している。また、フィル・コリンズは、1981年のアルバム「夜の囁き」("Face Value")を皮きりにグループの活動と並行してソロ活動を開始し、複数のヒット・アルバムを生み出すとともに、エリック・クラプトンのアルバム・プロデューサーを務めるなど、他の一流アーティストのサポート役としても活躍している。
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