ロイ・オービソン/Roy Orbison
50年代以降のポップス史上に輝かしい足跡を残すロック・シンガーのロイ・オービソンは、1936年、米国テキサス州の生まれ。ベルベット・ボイスあるいはオペラティック・ボイスとも呼ばれるハイトーンかつビブラートを効かせた独特のバラッド・ボーカルで知られるオービソンは、ブルース・スプリングスティーンなど多くの次世代のロック・ミュージシャンに影響を与えている。
1950年代後半にサン・レコードから シングル「ウービィ・ドゥービィ」 をリリースして実質的なデビューを飾ったロイ・オービソンは、その後、RCAを経てモニュメント・レコードへ移籍してからの1960年代前半に彼の最初の全盛期を迎える。この間にオービソンは、「オンリー・ザ・ロンリー」 (エルビス・プレスリーがレコーディングを拒否したため、やむなくオービソン本人が歌ったところ全米第2位 のヒットになったというエピソードが残されている)や 「イン・ドリームス」を含む多くのヒットナンバーを生み出すとともに、1964年には 「プリティ・ウーマン」 によって全米ナンバー1ヒットを記録するのである。
なお、1963年にイギリスツアーを敢行したオービソンはその最中にビートルズと共演しており、時間の前後関係が明確ではないものの、ビートルズが "Please Please Me" のオリジナル・バージョン作曲時にロイ・オービソンを意識していたことは、当時の状況と無関係ではないと思われる。
また、1980年代の後半には、ボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン、元エレクトリック・ライト・オーケストラのジェフ・リン、ハートブレーカーズのトム・ペティとともにトラベリング・ウィルベリーズを結成してヒットを放つが、オービソンは、彼の最後のソロ・アルバムとなった「ミステリーガール」("Mystery Girl")のリリースを待つことなく、1988年12月に心臓病のため他界している。
期せずしてロイ・オービソンのラスト・アルバムとなった「ミステリーガール」は、エルビス・コステロやU2のボノが曲を提供しているほか、元ブラッド・スエット&ティアーズのアル・クーパー、ブッカーT&ザMG'sのスティーブ・クロッパー、90年代のエリック・クラプトンのツアーにほとんど同行しているパーカッショニストのレイ・クーパーなど豪華メンバーのサポートを得て完成したオービソン・バラッドの集大成とも言うべき作品である。彼の死後わずか2ヶ月を経た1989年2月にリリースされ、全米のアルバム・チャートにランク・インしている。
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