ビートルズ特集


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ジョージ・マーティン/George Martin

 

 1926年、ロンドンの生まれ。ロンドン・ギルドホール音楽院でクラシックの基礎を学んだ後、1950年にEMIへ入社し、傘下レーベルの一つであったパーロフォンの担当者となる。

 その後のジョージ・マーティンは、007映画の主題歌で有名になる女性シンガーのシャーリー・バッシーや、コメディ俳優のピーター・セラーズらの作品を手掛けることで実績を残しながら、他社のレーベルが「リード・シンガーのいないコーラス・グループは時代遅れ」との理由で見向きもしなかったビートルズを見い出して契約にこぎつけることとなる。

 デッカ・レコードらの一流レーベルが失格の烙印を押したオーディション・テープの中にジョージ・マーティンが何を聴き取ったかは不明だが、彼の英断がなければ、20世紀後半のポップ・カルチャーに計り知れないインパクトを与えた20世紀最高のロック・グループは誕生していなかったかもしれないのである。

 なお、BBCが1998年に発表したドキュメンタリーフィルム「ブライアン・エプスタイン・ストーリー」の中で、ジョージ・マーティンはビートルズとの初めての出会いについて、「ユーモアとカリスマ性を感じ、ブライアン・エプスタインと同じように私も彼らとの恋に落ちた」という意味のコメントを残している。

 ビートルズにレコード・デビューをもたらしたジョージ・マーティンは、その後もプロデューサー、アレンジャーあるいはセッション・ピアニストの立場から、ビートルズのミュージシャンとしての成長に多大な影響を与え続ける。ビートルズ・サウンドに対する彼の貢献の大きさは、"Yesterday""For No One" などにおけるストリングスやホルンを使用したクラシック風のアレンジ、あるいは、"Tomorrow Never Knows""Strawberry Fields Forever" で聴かれる複雑なサウンド・エフェクト等にうかがうことができる。

 ビートルズ解散後の1970年代以降においても、ジョージ・マーティンは、リンゴ・スター、ジェフ・ベック、ジミー・ウェッブらのアルバムをプロデュースすることで実績を積み重ねた。とりわけ、ジェフ・ベックによる「ブロウ・バイ・ブロウ」(1975年) と「ワイアード」(1976年) の2枚のアルバムは、当時のニュージャンルであったフュージョンとロック・ミュージシャンがクロスオーバーするきっかけを生み出した作品として注目される。
 
 1980年代以降においては、ポール・マッカートニーと再び手を組むことによって、「タッグ・オブ・ウォー」(1982年) や「パイプス・オブ・ピース」(1983年) といった優れたロック・アルバムを世に送り出した。

 なお、1989年以降のポールは、デビッド・フォスター(元エア・プレイ)やトレバー・ホーン(元バグルス)、ジェフ・リン(元エレクトリック・ライト・オーケストラ)などの複数のプロデューサーを同じアルバムの中で曲によって使い分ける傾向が目立つが、その中にあって、音楽の親和性という視点からは、やはりジョージ・マーティンが抜群の相性を示すと言わざるを得ない。むしろ、解りすぎている仲間との共同作業による緊張感の欠如を恐れるがゆえに、ケースに応じて他のプロデューサーが起用されているとの考えは深読みしすぎであろうか。

 最後になったが、ジョージ・マーティンの献身的な努力がなければ、ビートルズの全オリジナル・アルバムのCDが、今日、私達の手元に届けられているようなクオリティを保ち得たか、大いに疑問であることを付け加えておきたい。

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