グリーン・オニオン | |
ブッカー・T&ザ・MGズ |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Green Onions |
リリース | 1962年 |
作曲 | ブッカー・T・ジョーンズ、スティーブ・クロッパー、アル・ジャクソン、ルイス・スタインバーグ |
プロデュース | クレジットなし |
演奏時間 | 2分45秒 |
収録アルバム | 「グリーン・オニオン」(アトランティック/1962年) |
ミュージシャン | ブッカー・T・ジョーンズ(オルガン)、スティーブ・クロッパー(ギター)、 アル・ジャクソン(ドラムス)、ルイス・スタインバーグ(ベース) |
[レビュー]
ブッカー・T&ザ・MGズは、スタックス・スタジオのハウス・バンドとして知られる。スタックス・スタジオは、アトランティック・レコード(モータウンと並んで60年代の黒人音楽をリードしたレコード・レーベル)のミュージシャン達が多くのアルバムを録音したスタジオとして有名だが、白人マーケットへの進出を視野に入れてマイルドで理解しやすいサウンドを志向したモータウンとは対象的に、よりプリミティブな黒人サウンドを徹底することでメンフィス・ソウルのメッカとも呼ばれた。
ブッカー・T&ザ・MGズは、スタックス専属のセッション・グループとしてオーティス・レディング、アルバート・キング、ウィルソン・ピケットらのバックを務めてきたが、同時に、自らも独立したソウル・グループとして多くのヒット曲を残した。中でも、彼らのデビュー・シングル「グリーン・オニオン」は、ブッカー・T&ザ・MGズの最大のヒットとなったナンバーである(ちなみにMGとは、メンフィス・グループの略である)。
この曲を含み、また、彼らのデビュー・アルバムでもある「グリーン・オニオン」は、そもそもアルバム制作を意図して録音されたものではなく、レコーディングの合間にメンバーがプレイしていたセッションを、スタジオ・オーナーのジム・スチュアートが本人達には内緒で録りためたテープをもとにアルバム化した作品である(プロデューサーのクレジットがないのは、この事情によるものと思われる)。
レコード化の企画を知らされたザ・MGズのメンバーは、ファースト・シングルのA面に「グリーン・オニオン」を選ぶよう強く主張したと言われ、実際に、リリースされたレコードは彼らの自信を裏付けるように1962年の全米チャートでR&B部門の第1位を獲得、さらにはポップス部門でも第3位にランク・インするなどの大ヒット・ナンバーとなったのである。
曲の印象としては、ボーカルを含まないインストゥルメンタル・ナンバーでありながら、オルガンとギターが歌いつなぐメロディ・ラインと、これに絡むベースとドラムスの跳ねるような独特のリズム感が心地よい。スティーブ・クロッパーのギターは単純に旋律を歌うだけでなく、切れ上がるようなノリを効かせてこの曲に特有のビート感を盛り上げていく。ピュアなブルースとは異なるスタイルによる黒人音楽の一つの類型を感じさせる作品であるとともに、70年代以降に人気を博するディスコ・サウンドのルーツとも言うべきロック・クラシックの一つと言ってよいであろう。
[モア・インフォメーション]
ブッカー・T&ザ・MGズは、ルイス・スタインバーグ(ベース)とダック・ダンとの交代を経た後の60年代後半に「グルーヴィン ("Groovin'")」、「ソウル・リンボー ("Soul-Limbo")」、「タイム・イズ・タイト ("Time Is Tight")」などのヒット・ナンバーを連続して生み出していく。
しかしながら、メンバー個々の音楽活動へ軸足を移しつつあることを理由に、ブッカー・T&ザ・MGズは、惜しまれながらも1971年にグループとしての解散を表明する。そして、1975年に、ドラマーのアル・ジャクスンが自宅へ押し入った強盗に射殺されるという悲劇的なアクシデントによって他界することで、同じメンバーによるグループとしての活動には完全なピリオドが打たれた。
なお、ロック史上屈指のソウル・ギタリストとして多くのミュージシャンから尊敬を集めるスティーブ・クロッパーだが、特に、ビートルズ初期のジョン・レノンに与えた影響は大きいと考えられる。「ア・ハード・デイズ・ナイト」に収録された「すてきなダンス ("I'm Happy Just To Dance With You")」でジョンが披露するリズム・ギターは、アルバム「グリーン・オニオン」に含まれる「ワン・フー・リアリー・ラヴズ・ユー ("One Who Really Loves You")」におけるスティーブ・クロッパーのプレイ・スタイルにそっくりである。
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