ビートルズ特集


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リチャード・レスター/Richard Lester

 

 米国ペンシルヴェニア州フィラデルフィア出身の映画監督。フィラデルフィアで生まれ育った後にロンドンへ渡り、ミュージカルの台本執筆をきっかけに映画の世界へ入る。1960年にピーター・セラーズを主演に起用した短編コメディ映画を監督することで、映画監督としての実質的なデビューを飾る。

 ピーター・セラーズの作品を手掛けることで自らのプロフェッショナリティを確立し、その後にビートルズと巡り会うという運命の軌跡は、奇しくもビートルズのアルバム・プロデューサーを務めたジョ−ジ・マーティンとの共通 点を連想させる。

 リチャード・レスターの映画監督としてのキャリアは、ビートルズとの出会いを契機として大きく開けたと言えるのではないだろうか。1964年に公開された映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」 は、彼にとってコマーシャル・ベースでの成功をもたらした最初の長篇映画である。

 その後、リチャード・レスターは、翌年の1965年に再びビートルズと組んだ映画 「ヘルプ!」を発表するが、同じく65年に公開した「ナック」(原題は "The Knack And How To Get It") がカンヌ映画祭のグランプリを受賞することで、映画監督として一流の仲間入りを果 たす。

 以降、1974年には、リチャード・ハリス、オマー・シャリフらが主演の大作アドベンチャー映画「ジャガーノート」("Juggernaut") や、オリバー・リード、ラクエル・ウェルチらによる「三銃士」("The Three Musketeers") を発表し、また、1976年には、ショーン・コネリーとオードリー・ヘップバーンの2大スターによる競演で話題を呼んだ「ロビンとマリアン」("Robin And Marian") を公開するなど、映画監督としての着実な成長ぶりを印象づけた。

 加えて、80年代の前半にSFX大作の「スーパーマン 2」(1980年) 及び「スーパーマン 3」(1983年) を監督したほか、1989年にはマイケル・ヨーク、オリバー・リードらの主演による「新・三銃士」("The Return of The Musketeers") の監督を務めるなど、変わらぬ活躍を続けている。

 ビートルズとの関連においては、ジョン・レノンの出演が話題となった1967年公開の映画「僕の戦争」(原題は "How I Won The War"、マイケル・クロフォードらが共演) 以来、直接の関係が途絶えていたが、1989年から翌年にかけて行われたポール・マッカートニーのワールド・ツアーにおいて、コンサートの開演前に上映されるイメージ・フィルム (1960年代を象徴する映像であると当時は伝えられた) の監督を務めたことにより、再びそのつながりを取り戻した。 

 リチャード・レスターは、このときのポールのワールド・ツアーを収録したコンサート映画「ゲット・バック」("Paul McCartney's Get Back") においても監督を務めている。

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