ミック・ジャガー/Mick Jagger
イギリス出身のロック・ボーカリスト。ローリング・ストーンズのリード・ボーカリストとして、また、ソングライター兼プロデューサーの一人として、キース・リチャーズとともにグループを牽引するストーンズのフロントマンである。実力とエンターテインメント性を兼ね備えた個性あふれるボーカル・スタイルによって、ミック・ジャガーは、ロッド・スチュワート、スティングらとともに当代最高のロック・ボーカリストの一人として不動の人気と高い評価を得ている。
やや意外なことに、ミックのソロ・シンガーとしてのキャリアは、ローリング・ストーンズのレコードデビュー (1963年) から20年以上を経た1985年にスタートしている。この年に初めてのソロ・アルバム「シーズ・ザ・ボス ("She's The Boss")」をリリースしたミックは、87年の「プリミティブ・クール ("Primitive Cool")」、さらに93年の「ワンダリング・スピリット ("Wandering Spirit")」と合わせ、90年代の前半までに計3枚のソロ・アルバムを発表している。
マドンナの "Like A Virgin" で知られるナイル・ロジャースと、エスニック系のサウンドが印象的な "Hear No Evel" などの作品があるビル・ラズウェルをプロデューサーに起用した「シーズ・ザ・ボス ("She's The Boss")」は、ジェフ・ベックの流麗なギター・ソロとともにダンサブルなサウンドを前面 に押し出したロックンロール・アルバムとして話題になった。(アルバムからのファースト・シングル "Just Another Night" は、全米チャートの第12位までランクアップしている)
これに対して、セカンド・アルバムの「プリミティブ・クール ("Primitive Cool")」は、キース・ダイアモンドとユーリズミックスのデイブ・スチュアートを共同プロデューサーに起用し、デイビッド・サンボーンのアルト・サックスをフィーチャーするなど一転して落ち着きを感じさせる仕上がりとなっている。"Party Doll" のようなミックの十八番とも言うべき美しいバラッド・ナンバーも含まれ、個人的には決して嫌いなアルバムではないのだが、R&Bをベースとするストーンズ・サウンドと、時代の潮流とも言うべきダンサブルな音楽との双方から一定の距離を置いたせいか、コマーシャルな面 では成功とは言い難い結果に終わった。
きわめてステレオタイプ的な言い方だが、パンクやディスコ・ビートの隆盛を背景に、無機的なリズムを主体とする音楽への流れを敏感に感じ取り、その方向へストーンズを導こうとするミックと、以前からの居場所 にストーンズをとどまらせようと考えるキースの対立という図式の中で70年代後半から80年代のストーンズを捉えるなら、 ミックの2枚の前記ソロ・アルバムは、思うようにグループの舵が取れないミックのストレスといらだちの中から生み出された作品と言えるのかもしれない。事実、この2枚がリリースされたことによって、80年代後半のストーンズには解散の噂 (あるいはミックがグループを脱退するとの噂) が絶えなかったのである。
事情はともかくとして、1989年9月にリリースされたアルバム「スティール・ホイールズ ("Steel Wheels")」と、同年から翌年にかけて行われたワールド・ツアーの成功により、ストーンズの解散の危機は唐突に回避される (そもそも危機があったと仮定しての話だが)。「プリミティブ・クール ("Primitive Cool")」のセールスにおける失敗を経験したミックが、再び自らの音楽的ルーツへ立ち返ることを余儀なくされたためとも想像されるのだが、いずれにせよ、「スティール・ホイールズ ("Steel Wheels")」の出来映えによってストーンズのマジックが依然として有効であることを確認した各メンバーが、それぞれのソロ活動にいそしむこととなった90年代の前半に、ミックのサード・ソロ・アルバムがリリースされるのである。
ビースティ・ボーイズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズを手掛けてきたリック・ルービンをプロデューサーに迎えて制作された「ワンダリング・スピリット ("Wandering Spirit")」は、ミックにとって、批評家から最も高い評価を受けるソロ・アルバムとなった (全米のアルバムチャートで第11位にランクインしている)。90年代のストーンズを先取りしたかのような小気味良いロックンロールと、ミックのルーツとも言うべきファンキーなソウル ("Think" はジェームズ・ブラウンのカバーである)、カントリー、トラディショナルなバラッドによって全体の楽曲が構成されている。
「ワンダリング・スピリット ("Wandering Spirit")」によって蒔かれた種子は、94年と97年にそれぞれリリースされたローリング・ストーンズのアルバム「ブゥードゥー・ラウンジ ("Voodoo Lounge")」と「ブリッジズ・トゥ・バビロン ("Bridges To Babylon")」によって結実する。自らが率いることを義務づけられた巨大なロック・バンドによる足枷からの解放を意図して始められたはずのミックのソロ・キャリアは、最終的にはグループのキャリアと重なりあうことによって、その落ち着く先を見い出したかのようである。
グループとしての活動とソロ・キャリアとを同時並行的に進めていくミュージシャンは数多いが、ミックほど、そのソロ活動がストーンズというバンドの状況と深く関わるケースは珍しい。本人が好むと好まざるとに関わらず、ミック・ジャガーという人間の個性が、ローリング・ストーンズというロック・バンドの音楽の中へ色濃く反映されるためであろう。根っからのブルース・ロッカーというイメージによってストーンズの象徴のごとく扱われるキースに対し、とかく批判されがちな役回りを演じる印象の強いミックだが、彼なくして史上最強のロックバンドが存続しえないことも、自明の理として認めざるを得ないのである。
追記: ミック・ジャガーの通算4枚目のソロ・アルバム「ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ」("Goodes In The Doorway")が2001年11月にリリースされた。レニー・クラヴィッツ、ザ・フーのピート・タウンゼント、U2のボノらがゲスト・プレイヤーとして参加している。
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