ロック名曲セレクション


ステイ・ウィズ・ミー
  フェイセズ

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Stay With Me
リリース 1971年
作詞・作曲 ロン・ウッド、ロッド・スチュワート
プロデュース グリン・ジョーンズ、フェイセズ
演奏時間

4分38

収録アルバム 「馬の耳に念仏」(ワーナー/1971年)
ミュージシャン ロッド・スチュワート(ボーカルロン・ウッド(ギター)、ロニー・レイン(ベース)、イアン・マクレガン(キーボード)、ケニー・ジョーンズ(ドラムス)

 

[レビュー]

 フェイセズの前身となるロック・バンドのスモール・フェイセズは、1965年にロンドンで結成され、翌年の1966年にデッカからアルバム「スモール・フェイセズ」をリリースしてレコード・デビューを飾る。オリジナル・メンバーは、スティーヴ・マリオット(ボーカル、ギター)、ロニー・レイン(ボーカル、ベース)、ケニー・ジョーンズ(ドラムス)、ジミー・ウィンストン(キーボード/デビュー・アルバムのレコーディング中にイアン・マクレガンと交代)の4人。メンバー全員の身長が低いために、このグループ名がついたと言われる。

 デッカ時代にはスティーヴ・マリオットのソウルフルなシャウター・ボーカルを前面 にフィーチャーすることでブルース・ロック・バンドとして活躍していたスモール・フェイセズだが、ローリング・ストーンズの元マネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムが設立した新レーベル「イミディエイト」への移籍後は次第にアルバム全体のサウンド構成にも神経を注ぐようになる。なかでも、当時のブリティッシュ・ロック・シーンを代表するコンセプト・アルバムとして話題を集めた「オグデンズ・ナット・ゴーン・フレーク」(1968年/原題は "Ogden's Nut Gone Flake")は、その最大の成果の表れと言えるだろう。

 その後、1969年3月にリード・ボーカリスト兼ギタリストのスティーヴ・マリオットがスモール・フェイセズからの脱退を表明。複雑化するグループのサウンドにストレスを感じ、よりピュアなブルース・ロックを求めるマリオットの脱退を契機に、グループはジェフ・ベック・グループで活躍していたロッド・スチュワートとロン・ウッドを迎え入れ、グループ名をフェイセズと改める。

 (グループ名の変更は、ロッドとロンの身長が決して低くはなかったためと言われる。また、グループを脱退したスティーヴ・マリオットは、ザ・ハードのギタリスト、ピーター・フランプトンとともに新グループのハンブル・パイを結成する。なお、ジェフ・ベック・グループについては、ジェフ・ベックの「蒼き風」をご参照)

 新生フェイセズは、グループの原点とも言うべきブルースとトラッド・フォーク系のロック・サウンドを志向しつつも、ロックンロールからスローバラッドまでを歌いこなすロッド・スチュワートと、ソロ及びリズム・ギターの両面 で優れたセンスを発揮するロン・ウッドの加入によって音楽そのものがより深みを増すとともに、バンド全体にゆとりと風格を感じさせるコンビネーションを浸透させることになった。

 再スタートを切ったフェイセズは1970年リリースの「ファースト・ステップ」を皮きりに通 算4枚のオリジナル・アルバムを発表するが、収録曲のクオリティとアルバムの完成度の双方において最も高い評価を受ける作品は1971年リリースの「馬の耳に念仏」であろう。彼らのサード・アルバムとしてリリースされた「馬の耳に念仏」には、メンバー間のコンビネーションも含め、グループとしてのコンディションが絶頂期を迎えていた頃の彼らのプレイぶりがパッケージされているほか、フェイセズを象徴するナンバーとして多くのファンに支持されるブルース系ハード・ロックの名曲「ステイ・ウィズ・ミー」(全英チャートで第17位 まで上昇)が収められている。

 本ナンバー「ステイ・ウィズ・ミー」は、ギターとベースを中心に組み立てられる深みとノリの双方を兼ね備えたリズム・トラックの上をロッド特有のソウルフルなシャウトが走り抜ける。ブルース系のディープなリズムによって形作られながらもハード・ロックとしてのタイトな印象をこの曲から強く受ける理由は、ギターとベースに加え、ドラムスとキーボードまでが一体となって力強く生み出していく楽曲全体のホットなグルーヴ感であろう。

 とりわけ、ボーカルのロッドがフレーズの最後に「ギター!」と叫んでロン・ウッドのギター・ソロを招く展開からは、彼らのライヴ・ステージの興奮がそのままスタジオに持ち込まれたかのような熱気を感じずにはいられない。本ナンバー「ステイ・ウィズ・ミー」は、ロックンロールのホットな刺激を思い出したくなった時に他のどの曲よりも聴きたいと願わずにはいられないシンボリックなロック・ナンバーと言えるのではないだろうか。

 

[モア・インフォメーション]

 フェイセズは、「馬の耳に念仏」の発表後にアルバム「ウー・ラ・ラ」(1973年)をリリースするが、その直後にベーシストのロニー・レインがバンドからの離脱を表明する。彼の後任として、かつてフリーに在籍した日本人ベース・プレイヤーの山内テツが迎えられるが、その後、一枚のアルバムもリリースすることなくフェイセズはグループの解散に至る。グループと平行してソロ活動を続けていたロッド・スチュワートの人気が次第に高まり、ロッド一人の動向がフェイセズの方向性に大きな影響を与えかねなくなったことがその原因と言われる。

 グループの解散後、ロッド・スチュワートは米国へ渡り、ワーナーからヒット・ナンバーの「セイリング」を放ってソロ・シンガーとしての人気を不動のものとする。また、ミック・テイラーの後任としてローリング・ストーンズへ迎え入れられたロン・ウッドが、その後、長きにわたってストーンズのギタリストとして活躍していることは周知のとおりである。

 一方、最初にフェイセズを離れたロニー・レインは、自らのグループ、スリム・チャンスを率いて活動を続けるとともに複数のソロ・アルバムをリリースする(ロニー・レインは1997年6月に病のため逝去)。また、ドラマーのケニー・ジョーンズは、急死したキース・ムーンに代わり一時的にザ・フーに参加していたほか、セッション・ドラマーとしても多方面 で実績を残している。

 キーボード・プレイヤーのイアン・マクレガンは、ロッド・スチュワートのソロ作品に欠かせないセッション・マンとして多数のアルバム・レコーディングに加わるとともに、ボブ・ディランボニー・レイット、ブルース・スプリングスティーンなど多くのアーティストの作品の中でサポート・メンバーとして貢献度の高いプレイを披露している。 

 ・関連ページ フェイセズのリンク集

 ・関連ページ ロッド・スチュワートのリンク集

 ・関連ページ ローリング・ストーンズのメンバー別 リンク集へ(ロン・ウッドのオフィシャル・サイトを含む)

 

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