オール・ライト・ナウ | |
フリー |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | All Right Now |
リリース | 1970年 |
作詞・作曲 | アンディ・フレイザー、ポール・ロジャース |
プロデュース | フリー、ジョン・ケリー |
演奏時間 | 4分14秒 |
収録アルバム | 「ファイアー・アンド・ウォーター」(アイランド/1970年) |
ミュージシャン | ポール・ロジャース(ボーカル、ピアノ)、ポール・コゾフ(ギター)、アンディ・フレイザー(ベース)、サイモン・カーク(ドラムス) |
[レビュー]
フリーは、ポール・ロジャース(ボーカル)、ポール・コゾフ(ギター)、アンディ・フレイザー(ベース)、サイモン・カーク(ドラムス)の4人によって結成され、1969年3月にアルバム「トンズ・オブ・ソブズ」を英国のアイランド・レーベルからリリースしてレコード・デビューを飾る。
デビュー当初は、当時の英国ロック界を席巻していたブルース・ロックのスタイルをストレートに継承するサウンド表現で話題となるが、続くセカンド・アルバムの「フリー」(1969年)において、各プレイヤーの特徴を生かしたよりハードなブルース・ロックを展開することでグループ独自のスタイルを強く打ち出すこととなる。
さらに、フリーの人気と音楽上の評価を決定づけた作品がサード・アルバムの「ファイアー・アンド・ウォーター」(1970年)であり、本ナンバー「オール・ライト・ナウ」は「ファイアー・アンド・ウォーター」からシングル・カットされて全英チャートの第1位 を獲得したフリーの最大のヒット・ナンバーである。
「オール・ライト・ナウ」は、深い表現力とシャープさを兼ね備えたギターのカッティング・プレイをバックに、タフでソウルフルなシャウトを響かせるポール・ロジャースのリード・ボーカルによってスタートする。コーラスが曲名をリフレインするサビの部分ではアンディ・フレイザーのベースが独特のトーンで個性的なフレーズを刻み、続く間奏のソロ・パートでは陰影に富むヴィブラートが印象的なポール・コゾフのエレクトリック・ギターが聴き手の耳を奪う。
フリー・サウンドの特徴は、個々のプレイヤーのユニークな個性と、これを絶妙に配置し合うことで作り上げられる楽曲全体のバランス感覚の良さにあると言えるだろう。
ポール・ロジャースはロッド・スチュワートやスティーブ・マリオット(スモール・フェイセズ、ハンブル・パイ)と並んで当時の英国ロック界を代表するブルース・ロック・ボーカリストであり、アンディ・フレイザーはモノトーンとフレージングの双方において深い表現力を発揮し得る異才とも言うべきベーシストである。
一方、官能的なヴィブラートでエリック・クラプトンをも唸らせたと言われるポール・コゾフのギターは紛れもなくフリー・サウンドに不可欠の要素を成し、ドラマーのサイモン・カークは他の3人ほどの音楽的な閃きには欠けるものの堅実かつハードなドラミングでグループの演奏を支えている。
これほどの豊かな才能と個性に溢れるメンバーが、相互のプレイをバランスよく生かし合って楽曲を構築するところにフリー・サウンドの本質が見い出されるのであり、この点においてフリーは、シンプルなリズムのノリと一部の突出したソリストのテクニックに頼りがちだった同時代の多くのブルース系ハード・ロック・バンドとは一線を画すべきグループであったように思う。そして、本ナンバー「オール・ライト・ナウ」は、フリーの大ヒット作であるとともに、彼らの音楽上のキャラクターを理解するうえで欠かせないナンバーと言えるだろう。
[モア・インフォメーション]
アルバム「ファイアー・アンド・ウォーター」は、「オール・ライト・ナウ」に加え、ロングトーンの深い表現力を駆使する泣きのギターが挿入されたタイトル・ナンバーや、ロック史上でも稀にみる長大なベース・ソロを含む「ミスター・ビッグ」など、フリーの音楽上の特徴が十分に発揮された名曲を多く収録することで、彼らの最高傑作と位 置付けられる作品になった。
その後のフリーは、次作「ハイウェイ」(1970年)の発表後に解散に至るが、1972年に一時的に再結成されてアルバム「フリー・アット・ラスト」をリリースする。また、1973年には、日本人ベーシストの山内テツ(後にフェイセズに在籍)、キーボード・プレイヤーのラビットを加えた新生フリーがスタートしてアルバム「ハートブレーカー」を発表。このアルバムからは「ウィッシング・ウェル」のシングル・ヒットが生まれている。
グループの解散後、ポール・ロジャースとサイモン・カークの二人は、元モット・ザ・フープルのミック・ラルフス(ギター)、元キング・クリムゾンのボズ・バレル(ベース)とともに新グループのバッド・カンパニーを結成し、そのデビュー・アルバム「バッド・カンパニー」(1975年)からシングル・ナンバーの「キャント・ゲット・イナフ」をヒットさせている。
一方、ギタリストのポール・コゾフは、1973年にアルバム「バック・ストリート・クローラー」を発表してソロ活動を開始するが、1976年3月19日、移動中の飛行機の中で心臓発作のために命を落としている。
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