シャイン・オン | |
ハンブル・パイ |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Shine On |
リリース | 1971年 |
作詞・作曲 | ピーター・フランプトン |
プロデュース | グリン・ジョーンズ |
演奏時間 | 2分58秒 |
収録アルバム | 「ロック・オン」(A&M/1971年) |
ミュージシャン | ピーター・フランプトン(ギター、キーボード、ボーカル)、スティーヴ・マリオット(ボーカル、ギター、キーボード)、グレッグ・リドレー(ベース、ギター、ボーカル)、ジェリー・シャーリー(ドラムス)、ドリス・トロイ(ボーカル)、P.P.アーノルド(ボーカル)、クラウディア・リニア(ボーカル)[曲別 のクレジットがないためアルバム全体のクレジットより使用楽器のインフォメーションを転記] |
[レビュー]
ブリティッシュ・ロック・バンドのハンブル・パイは、スモール・フェイセズの元シンガー兼ギタリスト、スティーヴ・マリオットとザ・ハードのギタリスト、ピーター・フランプトンの二人を中心に、ベーシストのグレッグ・リドレー(元スプーキー・トゥース)とドラマーのジェリー・シャーリーがこれに加わって1969年に結成された。
それぞれ実績のある人気グループのリーダー格として活躍していたスティーヴ・マリオットとピーター・フランプトンの顔合わせから生まれたハンブル・パイは、結成当初よりスーパー・グループとしてメディアに取り上げられ、大きな期待を寄せられる中でアルバム「アズ・セイフ・アズ・イエスタデイ・イズ」("As Safe As Yesterday Is"/1969年)をイミディエイトからリリースしてデビューを飾る。
その後、「タウン・アンド・カントリー」("Town And Country"/1969年)、メジャー・レーベルのA&M移籍後の「大地と海の歌」("Humble Pie"/1970年)と立て続けに2枚のアルバムをリリースしたハンブル・パイだが、デビュー時のシングル曲「ナチュラル・ボーン・ブギ」がヒットしたほかは決して商業的な成功に恵まれたとは言い難い結果 に終わった。
当時のハンブル・パイは、ピュアなブルース・ロックを追求するスティーヴ・マリオットとポップできらびやかなギター・サウンドを得意とするピーター・フランプトンの音楽上の個性の違いを意識しすぎて、そのバランスに必要以上の神経を注いだためにバンドとしてのサウンドの方向性が明確に定まらない状況に陥っていたのである。
彼らは、グループとしての4枚目のアルバム「ロック・オン」によってこの状況を一変させる。アルバム「ロック・オン」において、彼らはふっきれたようにハード・ロック路線に自分たちの音楽上のベクトルを定め、シャープでタイトなロック・サウンドを展開していく。
本ナンバー「シャイン・オン」は、アルバム「ロック・オン」のオープニングを飾るナンバーであり、当時の彼らが新たに見定めたハード・ロック路線を象徴するハンブル・パイの代表曲である。作詞・作曲とリード・ボーカルをピーター・フランプトンが務め、ピーター色の強いナンバーと言えるが、ピーター本来のポップなサウンド感覚は完全に影を潜め、ディープでハードなブルース系のハード・ロック・ナンバーに仕上がっている。
曲は、ヘヴィなリズムを生み出すベースとドラムスのトラックにハイトーンのギターとキーボードの重奏が連なるイントロからスタートし、やがてギターがリフへ変化すると同時にボーカル・ラインが主旋律を歌い始めて本編が開始される。重厚なギター・サウンドとサビの部分でハーモニーを重ねるゴスペル風の女性コーラスからは黒人音楽の影響が強く感じられるが、ゆったりと進む曲のスローなテンポにもかかわらず楽曲全体のリズムはタイトに引き締められたハード・ロック風の展開を印象づける。
ハード・ロック志向を強めることでもたらされたハンブル・パイの成功は、どちらかと言えばピーター・フランプトンがスティーヴ・マリオットの音楽へ歩み寄ることで実現したものと言ってよい。その意味で、ピーター主導のもとで生み出されたにもかかわらず、グループのハード・ロック・サウンドを如実に表す「シャイン・オン」は、 当時のハンブル・パイが置かれていた状況とその後に進むべき方向を鮮やかに映し出した意義深いナンバーと考えられるのではないだろうか。 この曲でスティーヴの路線に歩み寄ることによってグループの個性の確立に貢献したかに思われたピーター・フランプトンは、その後、スタジオ録音のアルバムとしては「ロック・オン」を最後にハンブル・パイを脱退し、ソロ・キャリアへの道を選ぶのである。
[モア・インフォメーション]
アルバム「ロック・オン」は、セールス面 での好成績を残したとは言い難いものの(全米のアルバム・チャートで第118位)、ハンブル・パイとしての音楽性が明確に定まり、また、ピーター・フランプトンが参加した最後のスタジオ・レコーディングのアルバムという要素もあってファンの間では人気が高い。また、このアルバムの収録曲の中では、マディ・ウォーターズからのカバー曲「ローリング・ストーン」(ストーンズのバンド名の由来としても知られる)やメンバー全員の共作ナンバー「ストレンジ・デイズ」で、グループの看板シンガー、スティーヴ・マリオットのソウルフルなロック・ボーカルを堪能することができる。
ハンブル・パイは、その後、ピーター・フランプトンの脱退を受けて、ジャズ色の強いブルース・ロック・バンド、コロシアムで活躍していたデイヴ・クレムソンを新たなギタリストとして迎え、アルバム「スモーキン」("Smokin'"/1972年)とダブル・アルバムの「イート・イット」("Eat It"/1973年)を相次いで発表する。ピーターの離脱によってスティーヴのリーダーシップがより明確に打ち出されたこれらのアルバムにおいて、彼らはハード・ロック志向をさらに強めたブルース系のシンプルなロック・サウンドを展開し、「スモーキン」がアルバム・チャートでトップ10入りを果 たすなどハンブル・パイとしては初めてと言ってよいコマーシャルな成功を収めることになる。
一方、ハンブル・パイを脱退したピーター・フランプトンは、その後アメリカへ渡って地道なライヴ活動を積み重ね、1976年発表のライヴ・アルバム「フランプトン・カムズ・アライヴ」("Frampton Comes Alive")で遂に大ブレークを記録する。同年の1月にリリースされたこのアルバムは、その後のおよそ1年にわたってアルバム・チャートの上位 にとどまり、全世界で1,200万枚という当時としては破格のセールスを記録するとともに、屋外の巨大なコンサート会場へ大規模な聴衆を集めて行われるスタジアム・ロックの時代の本格的な到来を告げる作品となったのである。
なお、「フランプトン・カムズ・アライヴ」に収録された「ショー・ミー・ザ・ウェイ」や「君を求めて」などのピーターのソロ時代のヒット曲を聴くと、彼がやはりポップでリリカルなロック・ミュージックを志向していたアーティストであることがわかる。本ナンバー「シャイン・オン」は、ピーター・フランプトンとスティーヴ・マリオットという二人の希有なタレントの音楽性が交錯して生まれたロックの名曲と言えるかもしれないが、そのための妥協を受け入れざるを得なかったピーターにとってハンブル・パイは一つの通 過点に過ぎなかったとも思われるのである。
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