ロック名曲セレクション


すべての若き野郎ども
  モット・ザ・フープル

なごみ
ダンス
ソウル

原題 All The Young Dudes
リリース 1972年
作詞・作曲 デビッド・ボウイ
プロデュース デビッド・ボウイ
演奏時間 3分30秒
収録アルバム 「すべての若き野郎ども」(CBS/1972年)
ミュージシャン イアン・ハンター(ボーカル、ピアノ)、ミック・ラルフス(ボーカル、ギター)、オヴァレンド・ワッツ(ベース)、バフィン(ドラムス)、ヴァーデン・アレン(ボーカル、オルガン)

 

[レビュー]

 多くのメジャー・ヒットを生み出したとは言えないものの、ロック・ファンに忘れがたい強烈なインパクトを残すロック・バンドがある。カリスマ的なロック・シンガーのイアン・ハンターに率いられて70年代のグラム・ロック・シーンでひときわ大きな輝きを放ち、後続のパンク・ロッカー達に多大な影響を与えたモット・ザ・フープルは、そのようなロック・グループの代表格と言えるかもしれない。

 モット・ザ・フープルの前身となったロック・バンドのサイレンスは、ミック・ラルフス(ボーカル、ギター)、オヴァレンド・ワッツ(ベース)、バフィン(ドラムス)、ヴァーデン・アレン(オルガン)の4名によって1968年に結成された。その後、ボーカリストのスタン・ティペンスがグループに加わるが、プロデューサーのガイ・スティーヴンスの意向によりシンガー兼ピアニストのイアン・ハンターと差し換えられる。

 ハンターの加入で強力なボーカル・ラインを獲得したグループは、ガイ・スティーヴンスの意見に従ってバンド名をモット・ザ・フープルと改め、1969年にデビュー・アルバムの「モット・ザ・フープル」をリリースする。

 さらに複数のアルバムを発表するもののヒットに恵まれない日々が続くモット・ザ・フープルは、当時の彼らが献身的に続けたツアー活動によってイギリス各地にグループのカルト的なファンを生み出していく。そして、その熱狂ぶりがやがてデビッド・ボウイの興味を引き付けるところとなり、ボウイが彼らへの新曲の提供を申し出るに至る。

 当時すでにグラム・ロック・シンガーとして高い人気を得ていたデビッド・ボウイは、モット・ザ・フープルへの新曲として「サフラゲット・シティ」を提案する。しかしながら、ハンターらのメンバーはこれを拒絶して代わりに「ドライヴ・イン・サタデイ」を要求。この議論は、その後の両者の話し合いによって最終的に「すべての若き野郎ども」に落ち着くこととなった。

 以上の経緯が示すとおり、本ナンバー「すべての若き野郎ども」は、ボウイの申し出によってその楽曲がモット・ザ・フープルへ提供され、その結果 、ボウイのプロデュースのもとで制作されたシングル・ナンバーである。ボウイの作品という話題性に加え、サウンド構成を含めた楽曲としてのクオリティの高さもあって、「すべての若き野郎ども」は全英のシングル・チャートで第3位 へ到達。さらに全米ヒット・チャートでもトップ40入りを果たすなど、この曲はモット・ザ・フープルにとって初めてのメジャー・ヒットを成し遂げたナンバーとなった。

 曲は、きらびやかなハイトーンのギターとオルガンのイントロでスタートして、ミディアム・テンポによるイアン・ハンターのボーカル・パートへと引き継がれる。第一主題の後半にメイン・ボーカルの伴奏として登場するオルガンの下降ラインがこの曲の印象を決定づけるが、この下降ラインは、バック・コーラスを背景にハンターのボーカルがシャウトする第二主題においてもほぼ同じコード・パターンを繰り返すことで曲の骨格を構成し続けていく。

 すなわち、この曲の構造は、第一主題とサビの部分(第二主題)が交互に登場し続けるなかで、同一の下降ラインがいずれの主題においてもその主要素として使用されるかなりシンプルなものと言える。ただし、同じパターンのリピートを決して単調とは感じさせないハンターのボーカリストとしての表現力や曲全体のストーリーをドラマティックに聴かせるアレンジの巧みさからは、このグループのロック・アーティストとしての奥深い力量 が感じられる。同時期のボウイの楽曲と比較しても、そのシンプルな曲作りがひときわ目立つ「すべての若き野郎ども」からは、そのゆえにこそモット・ザ・フープルに特有のポップでワイルドなロックンロールの魅力があふれていると言えるのではないだろうか。

 

[モア・インフォメーション]

 「すべての若き野郎ども」のシングル・ヒットを生み出したモット・ザ・フープルは、その勢いのままにデビッド・ボウイのプロデュースによる同名のアルバム「すべての若き野郎ども」(1972年)をリリースする。

 表題作に加え、ルー・リード作品からのカバー「スウィート・ジェーン」やバッド・カンパニーのナンバーとしても知られるミック・ラルフス作の「レディ・フォア・ラヴ」、また、ファンの間では「すべての若き野郎ども」以上にモット・ザ・フープルを象徴するナンバーとして愛されている「ジャーキン・クローカス」などを含む「すべての若き野郎ども」は、このグループを代表する傑作アルバムとしての評価を確立している。

 その後も、「革命」(1973年/"Mott")、「ロックンロール黄金時代」(1974年/"The Hoople")といったアルバムをリリースし続けるモット・ザ・フープルだが、やがてイアン・ハンターがデビッド・ボウイのパートナー的存在でもあったギタリストのミック・ロンソンとのコンビによる活動を希望してグループを離脱する。

 (アルバム「革命」のリリースと前後してオリジナル・メンバーのヴァーデン・アレンとミック・ラルフスがすでにグループを脱退し、それぞれオルガニストのモーガン・フィッシャー、ギタリストのアリエル・ベンダーと入れ替わっている。なお、ミック・ラルフスは、元フリーのポール・ロジャースとサイモン・カーク、元キング・クリムゾンのボズ・バレルとともに新たにハード・ロック・バンドのバッド・カンパニーを結成する)

 残ったメンバーはバンド名を「モット」へ変更してグループの存続を試みるが、看板シンガーのハンターを失った痛手は大きく、バンドはやむなく解散してその歴史の幕を閉じる。一方、ソロ・シンガーへ転向したイアン・ハンターは、ミック・ロンソンのサポートを得て「双子座の伝説」(1975年/"Ian Hunter")、「流浪者」(1976年/"All American Alien Boy")などのソロ・アルバムを発表している。

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