ヨーコ・オノ/Yoko Ono
横浜正金銀行 (現東京銀行) のサンフランシスコ支店副頭取を務めた小野英輔を父とし、安田銀行の創設者で貴族院議員も務めた安田善三郎の娘、小野磯子を母として1933年に東京に生まれる。本名は、小野洋子。
学習院大学の哲学科に入学するが、わずか一年あまりで退学。詩と作曲を学ぶためにニューヨークのサラ・ローレンス・カレッジへ転学する。1956年に日本人作曲家のトシ・一柳と結婚。1963年には美術プロモーターのトニー・コックスと2回目の結婚に至り、長女のキョーコが誕生している。
1966年11月に、ロンドンのウエスト・エンドにあるインディカ画廊にて「個展 No.2」を開こうとしていたヨ−コは、そのオープニングの前日に、ジョン・レノンとの運命的な出会いを迎えることとなる。
二人が最初に出会ったきっかけについては諸説があるようだが、いずれも、展示されているヨーコの作品にジョンが興味を示し、その反応に対してヨーコもまた刺激を受けたという点で共通 している。どのようなきっかけであったにせよ、双方が、お互いに対して、これまでに出会ったどの人物とも異なる創作上の刺激を受けたことは事実のようである。
その後、1968年にヨーコとジョンによる最初の共作アルバム「トゥー・バージンズ」を発表 (ヨーコはボーカル・パートに加え、カバー・デザインやサウンド・プロデュースを担当)。また、同年にリリースされたビートルズの通 称「ホワイト・アルバム」においても幾つかの曲で重要なコーラス・パートに加わるなど、ヨーコがジョンにとって大切なパートナーであることを知らしめるイベントが続いた。そして、1969年3月に、ヨーコはジブラルタルの教会でジョン・レノンと結婚する。
ビートルズを解散に追いやった張本人として、特に英米のファンからは非難されることの多いヨーコだが、当時のインタビューを読むと、ヨーコと出会う以前のジョンが自らの居場所に漠然とした居心地の悪さを感じていたことも事実と思われ、ジョンとヨーコの出会いからグループの解散に至る一連の流れは、歴史の必然として避け難いものであったとも感じられるのである。
なお、ヨーコ自身の創作活動に関しては、60年代以前のアバンギャルドなパフォーマンス、また、70年代以降のポスト・パンク世代に影響を与えたと言われる音楽活動など、いずれも高く評価する批評家が少なくないことを付け加えておきたい。
70年代以降にヨーコが発表した音楽作品については、速水丈監修による「地球音楽ライブラリー/ビートルズ」(TOKYO FM出版) の中の「ヨーコ・オノ・ディスク・ガイド」に詳しく紹介されている。また、ヨーコとジョンが出会ったいきさつや、彼女がジョンに与えた影響の大きさについて興味をお持ちの方には、アントニー・フォーセット著・江口大行訳「愛と芸術/革命家ジョン・レノン」(シンコー・ミュージック) のご一読をお薦めしたい。
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