レイト・フォー・ザ・スカイ | |
ジャクソン・ブラウン |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Late For The Sky |
リリース | 1974年 |
作詞・作曲 | ジャクソン・ブラウン |
プロデュース | ジャクソン・ブラウン、アル・シュミット |
演奏時間 | 5分40秒 |
収録アルバム | 「レイト・フォー・ザ・スカイ」(アサイラム/1974年) |
ミュージシャン | ジャクソン・ブラウン(ボーカル、ギター、ピアノ)、デヴィッド・リンドレー(ギター)、 ダグ・ヘイウッド(ベース、ボーカル)、ラリー・ザック(ドラムス、パーカッション)、ジェイ・ウィンディング(ピアノ、オルガン)、ドン・ヘンリー(ボーカル)、J.D.サウザー(ボーカル)、ダン・フォーゲルバーグ(ボーカル)、ジョイス・エヴァーソン(ボーカル)、テリー・リード(ボーカル)、ペリー・リンドレー(ボーカル)、ベス・フィチェット(ボーカル) [以上、曲別のクレジットがないため、アルバム全体のクレジットより使用楽器のインフォメーションを転記] |
[レビュー]
60年代の残像を引きずりながらも70年代の現実と向き合い、自らの生き方を真摯なスタイルで歌の中に折り込んで曲を書き続けたジャクソン・ブラウンは、70年代に限らず、90年代以後の今日においても米国ウエストコースト系のロックを支え続けるシンガー・ソングライターの一人と言えるだろう。
1948年10月に西ドイツ(当時)のハイデルベルクに生まれたジャクソン・ブラウンは、彼が3歳のときに家族とともに米国西海岸のロサンゼルスへ移住する。米国の地で音楽に目覚めたジャクソンは10代の頃よりフォーク・ソングに興味を持ち、地元のフォーク・クラブでステージに立つ日々を送る。
その後、一時的にニッティー・グリッティー・ダート・バンドに参加するなどロサンゼルスのフォーク・シーンで頭角を表し始めたジャクソン・ブラウンだが、1967年にはニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジへ移住。ティム・バックリーのバック・メンバーに加わるなどの活動を続けた後、1972年にデヴィッド・ゲフィンが立ち上げたばかりのアサイラム・レコードと契約してデビュー・アルバムの「ジャクソン・ブラウン」("Jackson Browne")を発表する。(このアルバムにはバーズ、CSN&Yで活躍したデヴィッド・クロスビーが参加している)
デビュー・アルバムに続き、1973年にリリースしたセカンド・アルバム「フォー・エヴリマン」("For Everyman")からも目立ったヒット曲が生み出されることはなかったが、これらの2枚のアルバムは、その感性の瑞々しさや説得力あるソング・ライティングにより当時のフォーク系シンガー・ソングライターへ創作スタイル上の一つのテンプレートを提供し得る作品として多くの批評家からの注目を集めることとなった。
そして、ジャクソン・ブラウンは、満を持していたかのように彼の3枚目のアルバム「レイト・フォー・ザ・スカイ」を1974年にリリースする。アルバム「レイト・フォー・ザ・スカイ」は、その音楽的な広がりとともに作品のテーマ自体がさらなる深化を感じさせ、ジャクソン・ブラウンのシンガー・ソングライターとしての評価とポジションを決定づけるとともに、彼にとって初めてのメジャー・ヒットを記録するアルバムとなった。(「レイト・フォー・ザ・スカイ」は全米のアルバム・チャートで第14位 まで上昇し、ゴールド・ディスクを獲得している)
本ナンバー「レイト・フォー・ザ・スカイ」は、アルバム「レイト・フォー・ザ・スカイ」のタイトル・ナンバーであり、また、70年代フォーク・ロックを象徴するタッチストーンの一つとも言うべきジャクソン・ブラウンの代表曲である。
曲は、デヴィッド・リンドレーのエレクトリック・ギターが導くイントロに始まり、ジャクソン・ブラウンの甘さと切なさをたたえたボーカル・パートへと引き継がれる。ゆったりしたリズムとスケールの大きな旋律によって愛した女性との別 離が綴られるが、曲の中にべとつくようなセンチメンタリズムはみじんも感じられない。
自らの現実を直視してこれを歌の中にリアルに刻み込んだジョニ・ミッチェルやジェイムス・テイラーのようなソングライターと異なり、ジャクソン・ブラウンのソング・ライティングは、60年代のロマンシズムを引きずりながらも、その中で自身のリアリティを偽りなく歌い上げている点に特徴がある。若さゆえの希望と不安がその歌声のなかに交錯する「レイト・フォー・ザ・スカイ」は、70年代のフォーク・ロック・シーンにジャクソン・ブラウンが残した確かな足跡をくっきりと描き出す名曲と言ってよいだろう。
[モア・インフォメーション]
アルバム「レイト・フォー・ザ・スカイ」は、その全曲をほぼ同じメンバーで演奏するというバンド・スタイルを貫いているためか、アルバム全体が同じトーンで統一されているという印象を強く受ける(ただし、バック・コーラスにはドン・ヘンリー、 J.D.サウザーを筆頭に実に多彩な顔ぶれが参加している)。また、個別 の収録曲のテーマを見ても、愛、別離、旅立ちといった人生の日常で生じうる一場面 を描写するものが多く、その意味でも同一のコンセプトによって統合されたアルバムとの印象は強い。
さらにジャクソン・ブラウンは、1976年に彼の4作目となるアルバム「プリテンダー」を発表する。リトル・フィートのローウェル・ジョージ、ビル・ペイン、トトのジェフ・ポーカロ、CSN&Yのデヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュ、ボニー・レイットなどの豪華メンバーを従えて制作された「プリテンダー」は、ジャクソン・ブラウンがフォーク系のシンガーからロック・シンガーへの完全な脱皮を遂げたアルバムと言われ、また、セールス面 においても全米のアルバム・チャートで初のトップ10入りを果たすなどの大きな成功をもたらすものとなった。
ジャクソン・ブラウンは、その後も「ホールド・アウト」(1980年/"Hold Out")、「愛の使者」(1983年/"Lawyers In Love")などのアルバムをヒットさせてファンの支持を集め続ける。
なお、「愛の使者」のころからジャクソン・ブラウンの作品の題材には政治的メッセージを含むものが増え始め、その傾向は1986年の「ライヴズ・イン・ザ・バランス」("Lives In The Balance")と1989年の「ワールド・イン・モーション」("World In Motion")の2枚のアルバムにおいてさらに顕著となるが、その後、数年間の沈黙を経てリリースされたアルバム「アイム・アライヴ」(1993年/"I'm Alive")において、ジャクソン・ブラウンは再びパーソナルで内省的な曲作りへと回帰している。
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