ホット・ブリトウ#1 | |
フライング・ブリトウ・フラザーズ |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Hot Burrito #1 |
リリース | 1969年 |
作詞・作曲 | クリス・エスリッジ、グラム・パーソンズ |
プロデュース | フライング・ブリトウ・ブラザーズ、ラリー・マークス、ヘンリー・レヴィ |
演奏時間 | 3分41秒 |
収録アルバム | 「黄金の城」(A&Mレコード/1969年) |
ミュージシャン | グラム・パーソンズ(ギター、マンドリン、キーボード、ボーカル)、クリス・ヒルマン(ギター、ベース、マンドリン、ボーカル)、スニーキー・ピート・クレイノウ(ペダル・スティール・ギター、ギター)、クリス・エスリッジ(ベース、ピアノ、キーボード、ボーカル)、バイロン・バーリン(バイオリン)、ジョン・コーネル(ドラムス)、サム・ゴールドスタイン(ドラムス)、エディ・ホー(ドラムス)、ポペイ・フィリップス(ドラムス)、ミス・パメラ(ボーカル)[アルバム全体のクレジットを転記] |
[レビュー]
元バーズのグラム・パーソンズとクリス・ヒルマンを中心に結成されたフライング・ブリトウ・ブラザーズは、アメリカの伝統音楽のカントリーにロックンロールを溶け込ませたカントリー・ロックのスタイルを確立し、ローリング・ストーンズやボブ・ディランなど同時代の多くのミュージシャンに影響を与えたほか、イーグルスらの後続のロック・バンドの道標になるなどロック史上で重要な役割を果 たしてきたロック・グループである。
フライング・ブリトウ・ブラザーズの創設者の一人であり、また、カントリー・ロックの父とも呼ばれるグラム・パーソンズは、1946年生まれ、米国フロリダ州の出身。少年時代に見たエルビス・プレスリーのライヴ・ステージに刺激を受けてロック・ミュージシャンを志したグラム・パーソンズは、ハーバード大学在学中にインターナショナル・サブマリン・バンドを結成する。
ロックンロール・スタイルのグループ編成でカントリーを演奏するという当時としては斬新な音楽を披露していたインターナショナル・サブマリン・バンドは、LHIレコードと契約してデビュー・アルバムの「セイフ・アット・ホーム」("Safe At Home"/1968年)を発表するが、この時すでにクリス・ヒルマンからザ・バーズへの参加を勧誘されていたグラム・パーソンズはデビュー・アルバムのリリースを待つことなくインターナショナル・サブマリン・バンドを脱退し、ザ・バーズへ加入する。
ザ・バーズへ加わったグラム・パーソンズは、メンバーとともにナッシュヴィルへ赴き、カントリー色豊かなバーズの新作アルバム「ロデオの恋人」("Sweetheart Of The Rodeo"/1968年)をレコーディングする。「ロデオの恋人」は、パーソンズが提供した「ヒッコリー・ウィンド」などのカントリー・ロック・ナンバーを多く含むことでザ・バーズのサウンドがカントリー・ロックの方向へ急転回したことを告げるとともに、フォーク・ロックのトップ・バンドとして当時のロック・シーンで高い人気を誇っていたバーズの音楽性の変化が同時代のミュージシャン達に多大な影響を与えるという結果 までをももたらしたのである。
しかしながら、直後に、アパルトヘイトに反対してザ・バーズの南アフリカ・ツアーへの参加を拒否したグラム・パーソンズは、これを機にグループを脱退し、やがて彼を追うようにバーズを離れたクリス・ヒルマンとともに、ギタリストのスニーキー・ピート、ベーシストのクリス・エスリッジらを集めてフライング・ブリトウ・ブラザーズを結成する。フライング・ブリトウ・ブラザーズは1969年にアルバム「黄金の城」をリリースしてレコード・デビューを果 たすが、ここに至って、グラム・パーソンズが目指すカントリー・ロックの理想形を実現するためのグループがようやく完成されたと言ってよいであろう。
フィドルやペダル・スティールを多用するフライング・ブリトウ・ブラザーズのサウンドは、米国の伝統音楽としてのカントリーの叙情的で旋律の豊かな一面 を受け継ぎ、ロック・サウンドの中でこれを消化してきたものと言える。なかでも、アルバム・デビュー作「黄金の城」に収録された本ナンバー「ホット・ブリトウ#1」は彼らの音楽的な特徴が最大限に生かされたフライング・ブリトウ・ブラザーズの代表曲である。
曲は、ピアノとギターのフレーズが生み出す優しいイントロに導かれて歌い出すグラム・パーソンズのボーカル・パートによってその幕が開ける。哀愁を帯びた優美な旋律を歌うパーソンズのボーカルにはあたかもツイン・リードのごとくエレクトリック・ギターのフレーズが寄り添い、表現力の豊かなベース・ラインとアコースティック・ギターによるリズム・セクションがこれをバックアップしていく。彼らが提示したカントリー・ロックという新たな表現形式の中でグラム・パーソンズのソングライター及びシンガーとしての魅力が遺憾なく発揮される「ホット・ブリトウ#1」は、フライング・ブリトウ・ブラザーズのデビューを飾るとともにパーソンズ在籍時代のグループの音楽性を最もよく伝えるカントリー・ロックの名曲と言えるだろう。
[モア・インフォメーション]
フライング・ブリトウ・ブラザーズのデビュー・アルバム「黄金の城」は、「ホット・ブリトウ#1」のほかにも、この曲と対をなすラヴ・ソングの「ホット・ブリトウ#2」やパーソンズとクリス・ヒルマンの共作ナンバー「ホイールズ」など、カントリー・ロック史上に残る名曲を多く含み、カントリー・ミュージックとロックの融合を高らかに歌い上げる歴史的な傑作アルバムとなった。
さらに、セカンド・アルバムの「ブリトー・デラックス」("Burrito Delux"/1970年)を発表してカントリー・ロック路線を突き進むフライング・ブリトウ・ブラザーズだが、このアルバムのリリース後にグラム・パーソンズがグループからの離脱を表明してフライング・ブリトウ・ブラザーズのサウンドは転換期を迎える(レオン・ラッセルをピアノ奏者に迎えてレコーディングされたストーンズ・ナンバーの「ワイルド・ホース」は「ブリトー・デラックス」の収録曲の中でも最大の聴き物であろう)。
パーソンズ脱退後のフライング・ブリトウ・ブラザーズは、シンガー兼ギタリストのリック・ロバーツを新メンバーに迎えてサード・アルバムの「フライング・ブリトウ・ブラザーズ」("Flying Burrito Bros."/1971年)を発表する。このサード・アルバムからは、リック・ロバーツが作曲し、リンダ・ロンシュタットやスティーヴン・スティルスのマナサスらによるカバーでも知られる名曲「コロラド」が生まれている。
一方、フライング・ブリトウ・ブラザーズを脱退したグラム・パーソンズは、女性カントリー・シンガーのエミルー・ハリスをデュエット・パートナーに抜てきして「GP」("GP"/1972年)と「グリーヴァス・エンジェル」("Grievous Angel"/1974年)の2枚のソロ・アルバムを作り上げる。
なかでも「グリーヴァス・エンジェル」はエミルー・ハリスとの息の合ったハーモニーが絶妙の美しさを生み出す優れたデュエット・アルバムだが、このアルバムの公式リリースを見届けることなく、グラム・パーソンズはドラッグとアルコールの過剰摂取により1973年9月19日に26歳の若さでこの世を去った。ポコの「クレイジー・アイズ」、イーグルスの「マイ・マン」、リンダ・ロンシュタットの「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」など、カントリー・ロックの世界に身を置く多くのアーティスト達がその死を悼み、グラム・パーソンズへの追悼曲を捧げている。
・関連ページ フライング・ブリトウ・ブラザーズのリンク集
・関連ページ ザ・バーズのリンク集
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