ウィ・アー・オール・アローン | |
ボズ・スキャッグス |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | We're All Alone |
リリース | 1976年 |
作詞・作曲 | ボズ・スキャッグス |
プロデュース | ジョー・ウィルザート |
演奏時間 | 4分13秒 |
収録アルバム |
「シルク・ディグリーズ」(コロンビア/1976年) |
ミュージシャン | ボズ・スキャッグス(ボーカル)、デヴィッド・ペイチ(キーボード)、ルイ・シェルトン(アコースティック・ギター)、デヴィッド・ハンゲート(ベース)、ジェフ・ポーカロ(ドラムス)、シド・シャープ(コンサートマスター) |
[レビュー]
白人のソウル・シンガーとして独自の境地を切り開き、その後に、優美で洗練されたサウンドに特徴のあるAOR("Adult Oriented Rock" の略)ブームの先駆けとなったボズ・スキャッグスは、ロック史上に重要な足跡を残すボーカリストの一人と言えるだろう。
ボズ・スキャッグス(本名はウイリアム・ロイス・スキャッグス)は、1944年、米国オハイオ州の生まれ。プロのミュージシャンとしてのボズのキャリアは、彼の旧友スティーヴ・ミラーが結成したブルース系のロック・グループ、スティーヴ・ミラー・バンドへの参加によってスタートしたと言ってよい。グループの2枚のアルバム「チルドレン・オブ・ザ・フューチャー」(1968年)と「セイラー」(1968年)にボーカリストとして参加したボズは、ソウルとR&Bのフィーリング豊かなロック・シンガーとしてサンフランシスコのロック・シーンで高い人気を得ることとなる。
その後、ソロ・キャリアの確立を志向してスティーヴ・ミラー・バンドを脱退したボズ・スキャッグスは、デュアン・オールマンをリード・ギタリストに迎えてアラバマ州マッスル・ショールズで録音したアルバム「ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン」(原題は "Boz Scaggs"/1968年)をアトランティック・レーベルから発表。さらに、コロンビアに移籍して「モーメンツ」("Moments"/1971年)、「マイ・タイム」("My Time"/1972年)などのアルバムをリリースし続け、ボズはブルー・アイド・ソウルの第一人者的なシンガーとしての評価を確立する。
ボズのロック・アーティストとしての転機は、モータウンの専属プロデューサー、ジョニー・ブリストルのプロデュースのもとで制作したアルバム「スロー・ダンサー」("Slow Dancer"/1974年)によってもたらされる。モータウンのソフト・ソウル路線に影響を受けたことが明らかなアルバムの表題作「スロー・ダンサー」は、メロウでソフトな曲作りを前面 に押し出すことでボズのキャリアにおけるAOR的なアプローチのきっかけを生み出したのである。
そして、ボズ・スキャッグスは、1976年に通算6枚目のソロ・アルバム「シルク・ディグリーズ」を発表し、このアルバムに収録された彼の代表作「ウィ・アー・オール・アローン」によって自らのAOR路線を確立する。(「シルク・ディグリーズ」のプロデューサーを務めたジョー・ウィザートは、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのアルバム制作で知られるソフト・ソウルのキー・パーソンの一人である)
本ナンバー「ウィ・アー・オール・アローン」は、シングル・カットこそされていないものの、ボズ・スキャッグスの代表曲としてファンに永く愛聴されるロック史上のスタンダード・ナンバーである。また、ダイナミックだが優しさにあふれる旋律、ピアノとストリングスを用いた華麗で洗練度の高いアレンジなど、「ウィ・アー・オール・アローン」は70年代後半以降にピークを迎えるAORブームへの流れの基礎を作り上げた名曲と言えるだろう。
曲は、流麗なピアノ・ソロのイントロでスタートして、やがてこれに導かれるように歌うボズのボーカル・パートへと引き継がれる。同じフレーズを繰り返して歌うボズのボーカルに対し、変化に富むピアノ伴奏が曲のイメージを広げつつ、次第にボリューム・アップするストリングスがメロディ全体を華麗に引き立てていく。
トラディショナルなバラッド・スタイルのベース・ラインこそ用いられているものの、ロック・ナンバーに付き物のギター・サウンドがほとんど登場しないこの曲の構造は、見かけのゴージャスさとは裏はらにピアノとストリングスがボーカルをサポートするきわめてシンプルなアレンジによるものと言える。すなわち、「ウィ・アー・オール・アローン」のメロウでソフィスティケイトされた曲のイメージは、ダイナミックに展開するこの曲の旋律を見事な歌唱力で描き切るボズのソウル・ボーカルに依存する部分が大きいと感じられるのである。
ソウルフルな実力派のボーカリストと、これをバックアップするわかりやすく華麗なアレンジというAORの基本スタイルは、本ナンバー「ウィ・アー・オール・アローン」によってほぼ確立されたと言ってよい。そして、それを可能にしたものは、ブルースとソウルを歌い続けてきた過去のキャリアに裏打ちされるボズ・スキャッグスのロック・シンガーとしての類い稀な実力と才能に負う部分が大きいと考えられるのである。
[モア・インフォメーション]
アルバム「シルク・ディグリーズ」からは、「ロウダウン」と「リド・シャッフル」の2曲のシングル・ヒットが生まれ、いずれも「ウィ・アー・オール・アローン」と同じくAORの香りを漂わすムーディな楽曲に仕上がっている。また、このアルバムには、アラン・トゥーサン作曲のニューオリンズ・ソウル「あの娘に何をさせたいんだ」やブルース・フィーリングあふれるロック・ナンバーの「ジャンプ・ストリート」など、ボズのこれまでのキャリアを感じさせるバラエティ豊かな楽曲が収録されている。
ボズ・スキャッグスは、その後「ダウン・トゥー・ゼン・レフト」(1977年)と「ミドル・マン」(1980年)の2枚のヒット・アルバムをリリースするものの、その活動は80年代に入って一時的に小休止の時期を迎える。しかしながら、88年にアルバム「アザー・ロード」を発表してロック・シーンの最前線へ舞い戻ったボズは、その後も「サム・チェンジ」(1994年)などの新作をリリースしてエネルギッシュなレコーディング活動を続けていく。
一方、70年代半ばのボズの作品が一つの端緒となって生み出されたAORの流れは、その後、ボビー・コールドウェル、マイケル・フランクス、グレッグ・ギドリーらのシンガーに受け継がれて80年代においても依然として高い人気を誇る。AORブームの誕生は、カウンター・カルチャーに象徴される70年代前半までの激動の時代を体験したロック世代が、やがて家庭や子どもを持つ立場となって落ち着きと安らぎを求める生活を営み始めたことにその一因があるとの意見もあるが、加えて、ロック・ミュージックそのものが巨大産業と化していくプロセスの中で、つねに均質的なヒット・チューンと計算し尽くされたサウンド構成を求める風潮が次第に生み出されていったことをAORブームの背景として見逃すべきではないだろう。
リトル・フィートのフレッド・タケットや後にトトを結成するデヴィッド・ペイチ、ジェフ・ポーカロなど名うてのセッション・ミュージシャンを配してレコーディングされた「シルク・ディグリーズ」は、ヒット・チューンを求めるが故のロック・サウンドの均質化という70年代半ば以降にロック業界全体が直面 する産業ロックへの大きな流れをすでに予感させていたように思われてならないのである。
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