ビートルズ特集


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ジェーン・アッシャー/Jane Asher

 

 英国出身の女優。子役のころから劇場、ラジオ、テレビドラマなどを主な舞台として幅広く活動を続ける。1963年4月に収録されたラジオ番組のインタビューを通 してビートルズと知り合った彼女は、とりわけポール・マッカートニーと親しくなる。

 劇場やクラシック音楽の演奏会へポールを誘うことで、ジェーン・アッシャーが、ポールの芸術面 における新たな興味を引き出すきっかけとなったであろうことは否定できない。"Eleanor Rigby""Penny Lane" に見られるクラシック調の作曲スタイルやアレンジの手法には、ジェーン・アッシャーとの交際によってポールが受けたであろう影響の痕跡が見られると言っていいのかもしれない。

 ポールは、1963年から1966年にかけてロンドンにあるアッシャー一家の自宅を拠点とする活動を続けた後、1967年のクリスマスに、ジェーン・アッシャーとの婚約を正式に発表した。それぞれが独立したアーティストとして評価されていた二人の婚約は、当時のマスコミ、ファンから理想のカップルともてはやされたが、翌年の7月になって、理由の説明もなく婚約の破棄がアナウンスされる。ジェーンと別 れた後のポールが、生涯の伴侶として選んだ相手は女性写真家のリンダ・イーストマンであった。

 ところで、少し話が逸れるが、60年代の半ばに英国を中心として活躍したポップ・デュオ、ピーター&ゴードンの一人であるピーター・アッシャーは、ジェーン・アッシャーの実兄である。

 「愛なき世界 ("A World Without Love")」(1964年)、"Nobody I Know" (1964年)、"I Don't Want To See You Again" (1964年)、"Woman" (1966年) の4曲をレノン&マッカートニーから贈られたピーター&ゴードンは、60年代を代表する英国のポップ・デュオであるとともに、米国でブームとなるフォーク・ロックの原型を提供したグループの一つとしても評価が高い (バーズのオリジナル・メンバーであるロジャー・マッギンとジーン・クラークは、グループ結成にあたり、ピーター&ゴードンのスタイルを目指していたと言われる)。

 1968年にピーター&ゴードンを解散したピーター・アッシャーは、その後、アップル・レコードのプロデューサーとしてジェイムス・テイラーのデビューアルバム「心の旅路 ("James Taylor")」(1968年) を制作したほか、ワーナー移籍後のジェイムス・テイラーの傑作アルバム「スイート・ベイビー・ジェイムス」(1970年) や、リンダ・ロンシュタットの多くのヒット・アルバム (74年リリースの「悪いあなた」他) をプロデュースするなど、その存在感を示している。

 ・関連ページ マッカートニー・ファミリーのリンク集へ(ジェーン・アッシャーのファン・サイトを含みます)

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