アイ・ラヴ・ユー・モア・ザン・ユール・エヴァー・ノウ | |
by ブラッド・スウェット&ティアーズ |
なごみ
|
|
ダンス
|
|
ソウル
|
原題 | I Love You More Than You'll Ever Know |
リリース | 1968年 |
作詞・作曲 | アル・クーパー |
プロデュース | ジョン・サイモン |
演奏時間 | 5分55秒 |
収録アルバム | 「子供は人類の父である」(コロンビア/1968年) |
ミュージシャン | アル・クーパー(ボーカル、オルガン)、スティーヴ・カッツ(ギター)、ボビー・コロンビー(ドラムス)、ジム・フィルダー(ベース)、ランディ・ブレッカー(トランペット)、エリー・ワイス(トランペット)、ディック・ハリガン(トロンボーン)、フレッド・リプシャス(アルト・サックス)、ヴァレリー・シンプソン(コーラス)、メルバ・モアマン(コーラス)、ジョン・サイモン(ストリングス・アレンジメント) |
[レビュー]
ブラス・ロックのルーツ的存在としてロック史上にその名を残すブラッド・スウェット&ティアーズ(以下「BS&T」)は、元ブルース・プロジェクトのアル・クーパー、スティーヴ・カッツらを中心に、1967年にニューヨークで結成された。
翌年の2月にデビュー・アルバムの「子供は人類の父である」(原題は "Child Is Father To The Man")をリリースしたBS&Tは、オルガン、ベース、ドラムスを主軸とするヘヴィなブルース・ロック風のリズム・セクションに、トランペット、トロンボーン、サックスを交えた華麗なホーン・アンサンブルを組み合わせることで、ブラス・ロックと呼ばれる独自のサウンドを創り上げる。
本ナンバー「アイ・ラヴ・ユー・モア・ザン・ユール・エヴァー・ノウ」は、彼らのデビュー・アルバム「子供は人類の父である」の収録曲であるとともに、アル・クーパー在籍時のBS&Tの魅力を最もよく伝える彼らの代表作としてロック・ファンに人気の高いナンバーである。
「アイ・ラヴ・ユー・モア・ザン・ユール・エヴァー・ノウ」は、スティーヴ・カッツのブルージーなギター・ソロとアル・クーパーのオルガンが刻むリズムに乗せてアル自らが歌うボーカル・パートによって幕を開ける。ベース・ラインとドラムスのトラックが生み出すディープなリズム感からは従来のブルース・ロックの手法を踏襲した作品であることがうかがえるが、力強いブラス・セクションと透明感のある女性コーラスが登場するミドル・パートを過ぎて、曲のイメージは一転してジャジーなものへと変貌していく。
間奏パートを華麗に彩るアルト・サックスのソロを含め、ブラス・アンサンブルによるサウンドの厚みを巧みに生かした曲全体のアレンジからは、当時のロックンロールの枠組みを超えてジャズやブルースの要素を取り込むクロス・ボーダー的な魅力が強く感じられ、この曲がその後に続くジャズ・ロックやフュージョン系のロックにとって一つの原形を提示する作品となったことは否定できないように思われる。
なお、BS&Tは、アル・クーパーらの離脱後、ボーカリストのデヴィッド・クレイトン・トーマスらの新メンバーを加え、1969年にセカンド・アルバムの「血と汗と涙」(原題は "Blood, Sweat & Tears")をリリースする。このアルバムからは「ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー」や「スピニング・ウィール」などのヒット・シングルが生まれているが、アルバムそのものの評価も高く、同年のグラミー賞をアルバム部門で受賞している。
とりわけ高音部に頼り無さを感じさせるアル・クーパーのボーカルがグループの弱点であったことは致し方なく、シンガーの交代によって強力なブラス・セクションに当たり負けしないボーカル・ラインを獲得し、その結果 、ヒット・アルバムが生み出されたことは事実であるが、反面、アル・クーパー脱退後のBS&Tがコマーシャルなサウンドに変質していったことも否定できない。いずれの時期のBS&Tを好むかは聴き手側の問題に過ぎないが、斬新なアイディアへのチャレンジによってロック史上に新たな1ページを記したオリジナル・メンバー達のBS&Tサウンドが軽視されてはならないとも思うのである。
[モア・インフォメーション]
BS&T結成のキー・パーソンとなったアル・クーパーは、1944年、ニューヨークの生まれ。1965年にボブ・ディランの傑作アルバム「追憶のハイウェイ61」のレコーディングに参加し、なかでもシングル・ヒットとなった「ライク・ア・ローリング・ストーン」のオルガン・プレイで話題を集めた。その後、ホワイト・ブルースを代表するブルース・ロック・バンドのブルース・プロジェクトへ加入したアル・クーパーは、このグループで知り合ったギタリストのスティーヴ・カッツとともにBS&Tの結成に向けて動き出すこととなる。
わずか1枚のアルバムを残してBS&Tを去ることとなったアル・クーパーだが(ミュージシャンよりもプロデューサーとしての活動をアルに望むレコード会社側の思惑があったためと言われる)、バターフィールド・ブルース・バンドにいたギタリストのマイク・ブルームフィールド、バッファロー・スプリングフィールドで活躍したスティーヴン・スティルスとのジャム・セッション・アルバム「スーパー・セッション」(1968年)や、マイク・ブルームフィールドとのセッションを収録したライブ・アルバム「フィルモアの奇蹟」(1969年)を発表し、自らが米国イースト・コースト系のブルース・ロック界における中心人物であることを印象づけていく。
また、アル・クーパーは自身のアルバムとして1969年に「アイ・スタンド・アローン」をリリースし、このアルバムの中でブルース、ジャズ、ブルーグラスなどの様々な音楽の要素を都会的なセンスのアレンジで巧みにまとめあげることにより、ソロ・アーティストとしても高い評価を得ている。
・関連ページ ブラッド・スウェット&ティアーズのリンク集へ
ブラッド、スウェット&ティアーズのCD、DVD、ビデオ、関連書籍を探してみよう
|
|
Copyright (C) 2001-2002 SWING ART. All rights reserved.