ロック名曲セレクション


いれずみの女
  ロリー・ギャラガー

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Tattoo'd Lady
リリース 1973年
作詞・作曲 ロリー・ギャラガー
プロデュース ロリー・ギャラガー
演奏時間 4分34秒
収録アルバム 「タトゥー」(ポリドール/1973年)
ミュージシャン ロリー・ギャラガー(ボーカル、ギター)、ジェリー・マッカボイ(ベース)、ルー・マーティン(キーボード)、ロッド・デアス(ドラムス、パーカッション)

 

[レビュー]

 魂のギタリストとも呼ばれるロリー・ギャラガーは、1949年3月、アイルランドのドネガル郡、バリーシャノンに生まれる。幼い頃からアメリカのブルース、フォーク・ミュージックに親しんだロリーは、なかでもバディ・ガイ、フレディ・キング、マディ・ウォータース、レッドベリーらの影響を強く受けたと言われる。

 ロリー・ギャラガーのレコーディング・キャリアは、自らが率いるトリオ編成のブルース・ロック・バンド、テイストのデビュー・アルバム「テイスト」(1969年)によってその幕を開ける。テイストは、複数のオリジナル・アルバムをリリースし、さらに1970年のワイト島フェスティバルにおけるステージ・パフォーマンスによって一躍その名を高めるが、直後にメンバー相互の音楽観の違いが表面 化してグループを解散。ロリー・ギャラガーは、ポリドールと契約してソロ名義によるデビュー・アルバム「ロリー・ギャラガー」(1971年)を発表する。

 (ワイト島フェスティバル出演当時のテイストのメンバーは、ロリー・ギャラガーのほか、スペンサー・デイヴィス・グループにいたベーシストのチャーリー・マクラッケン、ヴァン・モリソンが在籍したことで知られるゼムの元ドラマー、ジョン・ウィルソンの3人)

 その後、セカンド・アルバムの「デュース」(1971年/"Deuce")をリリースしてセールス的にも大きな成功を収めたロリー・ギャラガーは、さらに1973年に「ブルー・プリント」("Blue Print")と「タトゥー」("Tattoo")の2枚のアルバムを相次いで発表し、そのいずれもがファンと批評家の双方から賞賛をもって迎えられる。

 本ナンバー「いれずみの女」は、アルバム「タトゥー」のオープニングを飾る曲目であり、また、ロリー・ギャラガーの全キャリアを通 して最もファンに愛される彼の代表作と言ってよいだろう。

 ブルースを基調にしながらハード・ロック寄りのシャープなギター・サウンドを響かせるロリーの音楽上の特徴は、セカンド・アルバムの「デュース」においてほぼ完成に導かれた感がある。ただし、多様な音楽表現に挑んだことでややまとまりを欠く印象を与えかねなかった「デュース」に対し、「タトゥー」は、より明確に焦点を絞ることでロリー・ギャラガーの音楽表現を真に完成させたアルバムと言えるのではないだろうか。そして、本ナンバー「いれずみの女」は、当時のロリー・ギャラガーのアーティストとしての充実ぶりを最もよく伝えるナンバーの一つとも感じられるのである。

 曲は、ややくぐもった感のあるキーボードのイントロでスタートし、ベース、ドラムスのシャープなリズム・セクションを従えて走るロリーのボーカル・パートへと引き継がれる。その後、第一主題の途中から隠し味的にキーボードが加わるが、第二主題に至ると一転してキーボードが前面 へ出て、ボリューム・アップするリズム・トラックとともに曲の盛り上がりを演出する。また、キーボードからギターへと受け渡されるインストのソロ・パートにおいて、バンド全体にみなぎるエキサイティングな臨場感も見事と言えよう。

 ロリーのギター・プレイは、ボーカル・ラインに対してオブリガートとなる短いフレーズを挿入し、また、ソロ・パートでは主旋律をなぞって曲の屋台骨を構成するという点でオーソドックスなブルース・スタイルに近いものと言える。しかしながら、その一方で、彼のギターが各パートで披露するフレーズや表現の多様性は、伝統的なブルース・ミュージックの枠組みを大きく超えるものとも感じられる。

 ブルースという音楽ジャンルを一つの素材として徹底的に対象化するロリーのスタイルは、スピリチュアルな要素に拘泥しすぎてその枠を超えられず、やむなく長時間にわたる即興的なソロ・プレイで自らを表現せざるを得なかった同時代のクラプトンマイク・ブルームフィールドらのギター・プレイとはまったく異質のものである。ブルースを自らの音楽的ルーツとして自覚しながらも、そこに音楽家としてのコンプレックスを感じさせないロリー・ギャラガーは、まさしく唯一無二のブルース・ロック・ギタリストと言えるだろう。

 

[モア・インフォメーション]

 アルバム「タトゥー」は、「いれずみの女」のほかにも、「リヴィン・ライク・ア・トラッカー」や「100万マイルも離れて」など、ロリーが黒人ブルースをいかに一つの素材として自らのサウンドの中で消化してきたかを伝える彼の代表曲を多く含み、70年代のロリー・ギャラガーを象徴するアルバムの一つになったと言ってよいだろう。

 その後、1975年にポリドールからクリサリスへ移籍したロリー・ギャラガーは、同年にアルバム「アゲインスト・ザ・グレイン」("Against The Grain")をリリースし、また、翌年の76年にはロジャー・グローヴァー(ディープ・パープルのベーシスト)をプロデューサーに起用したアルバム「コーリング・カード」("Calling Card")を発表して、変わることのないシャープでソリッドなギター・サウンドを披露し続ける。

 さらに、「フォト・フィニッシュ」(1978年/"Photo-Finish")、「トップ・プライオリティ」(1979年/"Top Priority")、「ジンクス」(1982年/"Jinx")、「ディフェンダー」(1987年/"Defender")といったアルバムをリリースしてファンの期待に応え続けたロリー・ギャラガーだが、オリジナル・アルバムとしては90年の「フレッシュ・エヴィデンス」("Fresh Evidence")を最後に、95年に病のため惜しまれながらこの世を去っている(享年47歳)。

 なお、ロリー・ギャラガーは、スタジオ録音のアルバムに限らず、ライヴ作品においても高い評価を受けるアーティストだが、彼のライヴ・アルバムとしては1972年の「ライヴ・イン・ヨーロッパ」、1974年の「ライヴ・イン・アイルランド」、そして1980年の「ステージ・ストラック」の3枚が名盤と言われている。

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