スウィート・ホーム・アラバマ | |
レイナード・スキナード |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Sweet Home Alabama |
リリース | 1974年 |
作詞・作曲 | エド・キング、ゲイリー・ロッシントン、ロニー・ヴァンザント |
プロデュース | アル・クーパー |
演奏時間 | 4分44秒 |
収録アルバム | 「セカンド・ヘルピング」(MCA/1974年) |
ミュージシャン | ロニー・ヴァンザント(ボーカル)、ゲイリー・ロッシントン(ギター)、 アレン・コリンズ(ギター)、エド・キング(ギター)、ビリー・パウエル(キーボード)、レオン・ウィルクソン(ベース)、ボブ・バーンズ(ドラムス)、クライディ・キング(ボーカル)、メリー・クレイトン(ボーカル)、その他 |
[レビュー]
レイナード・スキナードは、60年代の後半に活動を開始し、70年代初めのメジャー・デビューを果 たしてからはオールマン・ブラザーズ・バンドと肩を並べるサザン・ロックのシンボル的な存在として全米の音楽ファンに愛されてきたロック・バンドである。
グループの歴史は、フロリダ州ジャクソンヴィルのハイスクールに通 う学生たちが、ボーカリストのロニー・ヴァンザントを中心にロック・バンドの結成を思い立った1965年にスタートする。グループは当初「マイ・バックヤード」と名乗るが、間もなくバンド名を「レイナード・スキナード」へ変更。新しいグループ名は、メンバー達が通 っていたハイスクールの厳格な教師、レナード・スキナーにちなんだものと伝えられる。
地元のローカル・レーベルからシングル曲「ニード・オール・マイ・フレンズ」をリリースしてレコード・デビューを飾ったレイナード・スキナードだが、いまだ全国レベルの人気を得るまでには至らない。彼らの飛躍は、グループがアトランタのクラブで演奏した際に、偶然にもバッド・フィンガーのツアー・サポートでこの地を訪れていたアル・クーパーの目にとまったことがきっかけとなってもたらされる。(バッド・フィンガーについては「ウィザウト・ユー」の[モア・インフォメーション]をご参照)
サザン・ロックを全米の音楽ファンへ紹介すべく、MCA傘下に新レーベルの「サウンド・オブ・ザ・サウス」を立ち上げたばかりのアル・クーパーは、同レーベルがリリースする2組目のロック・バンドとしてレイナード・スキナードをバックアップし、彼らはアル・クーパーのプロデュースのもとでデビュー・アルバム「レイナード・スキナード」(1973年)を完成させる。
さらに1974年にセカンド・アルバムの「セカンド・ヘルピング」を発表したレイナード・スキナードは、このアルバムからのシングル・カット「スウィート・ホーム・アラバマ」が全米チャートの第8位 へランク・インするヒットとなり、ここに至ってグループの人気は遂に不動のものとなった。
本ナンバー「スウィート・ホーム・アラバマ」は、レイナード・スキナードの出世作としてファンにとっては忘れ難い作品であるのみならず、60年代末以降の米国ロック・シーンが生み出したサザン・ロックを代表する名曲とも言えよう。
曲は、爽やかな印象を与えるギターのアンサンブルでスタートして、シャープなカッティングを響かせるリズム・ギターとドラムスによるリズム・トラックへと引き継がれる。直後にロニー・ヴァンザントのボーカル・ラインが走り始めて本編が開始されるが、主旋律の2フレーズ目からは女性コーラスが加わることでサウンドそのものが厚みを増し、また、ゴスペル風のアレンジが隠し味のごとく絶妙の効果 をもたらしている。
展開部も含め、一貫して同じ主題を繰り返す曲の構造や、全体を通 して大きな変化のないアレンジからはきわめてシンプルなナンバーとの印象を受けるが、エド・キングのリード・ギターによるテクニカルな面 白さやエンディングを彩るホンキー・トンク調のピアノなど個々のパートには味のあるプレイがさりげなく登場する。小気味良いリズムのノリとシャープなギター・サウンドが聴き手に鮮やかな印象を残す「スウィート・ホーム・アラバマ」は、70年代のサザン・ロックを象徴する名曲の一つと言えるだろう。
(「スウィート・ホーム・アラバマ」は、ニール・ヤングが人種問題に関連して南部人を批判した「サザン・マン」に対する南部からのアンサー・ソングとして書かれたと言われる。「サザン・マン」はニール・ヤングのアルバム「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」に収録/ニール・ヤングについてはCSN&Yのページへ)
[モア・インフォメーション]
アルバム「セカンド・ヘルピング」には、「スウィート・ホーム・アラバマ」のほかにも、ブルージーなサザン・テイストを存分に味わえる「カーティス・ロウのバラード」や「スワンプ・ミュージック」、あるいは、ロニー・ヴァンザントのロック・シンガーとしての魅力が遺憾なく発揮された「アイ・ニード・ユー」など、レイナード・スキナードの音楽上の特徴をストレートに伝える佳曲が多く含まれている。
その後も「ロックの魂」(1975年/原題は "Nuthin' Fancy"/このアルバムよりドラマーがボブ・バーンズからアーティマス・パイルへ交代)や「不屈の魂」(1976年/"Gimme Back My Bullets")などの優れたアルバムをリリースしてファンを魅了し続けたレイナード・スキナードだが、彼らを思いがけない突然の悲劇が襲うのは1977年10月20日のことであった。
この日、ツアーの途上にあるグループのメンバーを乗せた飛行機がミシシッピ州ギルズバーグの湿地帯へ墜落し、ボーカリストのロニー・ヴァンザントを含む複数のメンバーが死亡、残りのメンバーは一命を取り留めたものの全員が重傷を負うという惨事に見舞われたのである。悲報に接したファンの多くは悲しみに沈み、レイナード・スキナードはこの日を最後にその活動を永遠に停止したものと思われた。
非運の飛行機事故から10年を経た1987年の9月に、レイナード・スキナードはついに復活を遂げる。グループは、かつてのメンバーのゲイリー・ロッシントン、ビリー・パウエル、アーティマス・パイル、レオン・ウィルクソンに、新メンバーのジョニー・ヴァンザント(ボーカル)とロンダール・ホール(ギター)を加えて完全なカムバックを果 たした。蘇ったレイナード・スキナードは、リユニオン・ツアーを行うとともにスタジオ・レコーディングを再開し、以後も精力的な音楽活動へ取り組んでいくのである。
・関連ページ レイナード・スキナードのリンク集へ
・関連ページ 洋楽ロック総合サイト集のアメリカン・ロックへ(サザン・ロックの特集サイトを含む)
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