ドリームス | |
フリートウッド・マック |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Dreams |
リリース | 1977年 |
作詞・作曲 | スティーヴィー・ニックス |
プロデュース | フリートウッド・マック、リチャード・ダシュット、ケン・カイラット |
演奏時間 | 4分14秒 |
収録アルバム | 「噂」(ワーナー/1977年) |
ミュージシャン | スティーヴィー・ニックス(ボーカル)、リンジー・バッキンガム(ギター、ボーカル)、クリスティン・マクヴィー(キーボード、シンセサイザー、ボーカル)、ジョン・マクヴィー(ベース)、ミック・フリートウッド(ドラムス、パーカッション) |
[レビュー]
時代の移り変わりに合わせて自らの音楽を少なからず変化させることはロック・グループのつねと言えるだろうが、フリートウッド・マックほど自らのサウンドを劇的に変化させ、それを音楽上の大きな成功に結び付けたロック・バンドは例がないかもしれない。
フリートウッド・マックは、1967年にイギリスのロンドンで結成される。当時の中心メンバーは、ジョン・メイオール率いる伝説的なブルース・ロック・バンド、ブルースブレイカーズでギターを弾いていたピーター・グリーンである。ブルースブレイカーズにおける前任者、エリック・クラプトンが新グループのクリームを結成して大成功をおさめる様子を目にしたピーター・グリーンは、自らも新たなバンドの結成を志し、ブルースブレイカーズのバンド・メイト、ジョン・マクヴィー(ベース)とミック・フリートウッド(ドラムス)を誘ってグループからの独立をはかる。
やがてスライド・ギタリストのジェレミー・スペンサーをメンバーに加えた彼らは、リズム・プレイヤー2人の名前を組み合わせてフリートウッド・マックと名乗り、1967年にブルー・ホライズンからデビュー・アルバムの「フリートウッド・マック」をリリースしてレコード・デビューを果 たした。
翌年の68年にギタリストのダニー・カーワンを迎えてギタリスト3人がフロントラインに並ぶ5人編成となったフリートウッド・マックは、ハードかつピュアなブルース・ロックを基調に、トリプル・リードによるシャープなギター・アンサンブルを売り物とするプレイで人気を集めていく。
ピーター・グリーンを中核とするブルース・ロック時代のフリートウッド・マックのアルバムとしては、「英吉利の薔薇」(1969年/"English Rose")と「ゼン・プレイ・オン」(1969年/"Then Play On")が彼らの代表作と言えるだろう。「英吉利の薔薇」には後にサンタナのカバーで大ヒットする「ブラック・マジック・ウーマン」が含まれ、また、「ゼン・プレイ・オン」からはUKチャートのトップ10入りを果 たす名曲「オー・ウェル」が生み出されている。
ドラッグの使用に起因する精神面の不調等を理由にピーター・グリーン、ジェレミー・スペンサー、ダニー・カーワンが相次いでグループを去ったフリートウッド・マックは、チキン・シャックでプレイしていたクリスティン・マクヴィー(キーボード、ボーカル)をメンバーに加え、また、心機一転を図って米国カリフォルニアへ移住した後に、この地で知り合ったソフト・ロック・デュオのリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスをグループへ迎え入れてサウンドの強化を図る。(この間には、ボブ・ウェルチ、ボブ・ウェストンなど複数のメンバーの出入りがあった)
メンバーの入れ替えによってグループのサウンドからはハードなブルース・ロック色が一掃され、フリートウッド・マックの音楽は、従来からの強固なリズム・セクションにソフト・ロック風のポップなアレンジを巧みにミックスしたユニークなものとなった。とりわけ、フロント・ウーマンとして独特のハスキー・ヴォイスを響かせるスティーヴィー・ニックスは、新たなラインナップによるグループのシンボル的な存在として彼らの音楽上の変化を印象づけた。
本ナンバー「ドリームス」は、新ラインナップによるフリートウッド・マックの2枚目のアルバムとしてリリースされた「噂」(1977年)からのシングル・カット・ナンバーである。アルバムそのものもロック史上に残る大ヒットを記録した「噂」だが、シングル・チャートの上位 に躍進した「ドリームス」は、この曲の作者でありリード・シンガーでもあるスティーヴィー・ニックスの魅力をふりまくとともに、フリートウッド・マックのソフト・ポップ路線を決定づけた彼らの代表曲と言えよう。
タイトなリズム・セクションの上をスティーヴィーの魅惑のボーカル・ラインが走り、クリスティンのキーボード、リンジーのギター・プレイがゴージャスだが無駄 のないアレンジで主旋律をバックアップする「ドリームス」は、フリートウッド・マックのキャリアにおける新たな出発点を打ち出すとともに、その後のジャーニーやスティクスなどの産業ロックと呼ばれる一連のヒット曲の呼び水にもなった名曲と言えるのではないだろうか。
[モア・インフォメーション]
アルバム「噂」は、「ドリームス」のほかにも、リンジー・バッキンガム作曲の「オウン・ウェイ」、クリスティン・マクヴィーが作曲した「ドント・ストップ」と「ユー・メイク・ラヴィング・ファン」の3曲のシングル・ヒットを生み出し、また、アルバムそのものも全米のアルバム・チャートで32週連続のトップを獲得するなど70年代で最高のポップ・アルバムという評価を確立している。(「噂」は、全米のアルバム・セールスでマイケル・ジャクソンの「スリラー」に次ぐ史上第2位 の記録を樹立した)
フリートウッド・マックは、その後も1979年に「牙(タスク)」("Tusk")、1982年に「ミラージュ」("Mirage")、さらに1986年には「タンゴ・イン・ザ・ナイト」("Tango In The Night")といったアルバムを発表して変わることのない見事なポップ・チューンを披露し続ける。また、この間にメンバーは各自のソロ作品にも積極的に取り組み、スティーヴィー・ニックスが「麗しのベラ・ドンナ」(1981年)や「ロック・ア・リトル」(1986年)、リンジー・バッキンガムが「ロー・アンド・オーダー」(1981年)、クリスティン・マクヴィーが「恋のハートビート」(1984年)などのソロ・アルバムをそれぞれリリースしている。
一方、フリートウッド・マックのオリジナル・メンバーであり、グループの初代リーダーでもあるピーター・グリーンは、フリートウッド・マックからの離脱後しばらくは目立った活躍がなかったものの、90年代の半ばにナイジェル・ワトソン、コージー・パウエルらとともにピーター・グリーン・スプリンター・グループを結成し、複数のアルバムを相次いでリリースするなど再び積極的な音楽活動に取り組んでいる。
なお、フリートウッド・マックは、1998年にロックの殿堂入りを果 たしている。
・関連ページ フリートウッド・マックのリンク集へ
・関連ページ フリートウッド・マックのメンバー別 リンク集へ
・関連ページ エリック・クラプトン参加グループのリンク集へ(ブルースブレイカーズのオフィシャル・サイトを含む)
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