ロック名曲セレクション


ボヘミアン・ラプソディ
  クイーン

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Bohemian Rhapsody
リリース 1975年
作詞・作曲 フレディ・マーキュリー
プロデュース ロイ・トーマス・ベイカー、クイーン
演奏時間 5分59秒
収録アルバム 「オペラ座の夜」(EMI/1975年)
ミュージシャン フレディ・マーキュリー(ボーカル、ピアノ)、ブライアン・メイ(ギター、ボーカル)、ジョン・ディーコン(ベース)、ロジャー・テイラー(パーカッション、ボーカル)

 

[レビュー]

 70年代以降のイギリスを代表するハード・ロック・バンドのクイーンは、サイケ色の濃いロック・グループのスマイルでプレイしていたブライアン・メイ(ギター)とロジャー・テイラー(ドラムス)の2人を母体に、ボーカルのフレディ・マーキュリーとベーシストのジョン・ディーコンがこれに加わることで1971年にロンドンで結成された。

 1973年にアルバム「戦慄の王女」(原題は "Queen")をリリースしてレコード・デビューを果 たしたクイーンは、1974年のサード・アルバム「シアー・ハート・アタック」とこのアルバムからのシングル・カット・ナンバー「キラー・クイーン」のヒットによりブリティッシュ・ハード・ロック界の新鋭バンドとしてその存在感を打ち立てる。

 デビュー当初はメタリックなハード・ロック・サウンドを前面に押し出したことでレッド・ツェッペリンの二番煎じ的な扱いを受けがちだったクイーンだが、やがてフレディ・マーキュリーのオペラティック・ボーカルを中心にクラシックな要素を巧みにメタリック・サウンドの中へ取り込んで彼ら独自の音楽性を発揮していく。

 クイーンのユニークな個性が初めてアルバムの全編にちりばめられた作品は、彼らの第4作目となるアルバム「オペラ座の夜」(1975年)であろう。そして、このアルバムからシングル・カットされた本ナンバー「ボヘミアン・ラプソディ」は、彼らの音楽的な魅力が凝縮された極上のクイーン・サウンドが味わえるナンバーとして、全英チャートのトップを9週間連続で独占する大ヒットとなる。(この曲は、当時のイギリスにおけるトップ・チャート獲得の最長期間記録を打ち立てている)

 曲は大きく三つのパートに分かれて構成されるが、最初のパートはアカペラのコーラスからスタートしてピアノの弾き語りへと引き継がれる。叙情性にあふれる優美なピアノ伴奏に乗せてフレデイ・マーキュリーのボーカルが美しい旋律を歌うが、やがて曲の進行とともにドラムスとギターが違和感なく追加され、セカンド・パートの盛り上がりへ向けて次第に緊張感が高められていく。

 続くセカンド・パートでは、フレディ、ブライアン、ロジャーの三人が複雑なコーラスを重ねて絶妙なハーモニーを創り上げる。ピアノとパーカッションが補助的に使用されるのみで、サウンドのほとんどをボーカルのオーバー・ダビングで処理するこのコーラス・パートからは、フレディ・マーキュリーが主導したと想像されるイタリア・オペラによる影響がうかがわれ(歌詞の一部にはイタリア語が登場する)、他のロック・グループではおそらく味わうことのできないクイーンに特有の妖艶な美しさが展開される。

 曲は、その後、ブライアンのメタリックなギター・サウンドがほとばしるハード・ロック風の展開へ移り、さらに一転してピアノ伴奏による最初の主題へ帰るとともに、ギターとピアノがボーカル・ラインをサポートしてエレガントに締めくくる静かなトーンのエンディングへと行き着く。曲全体のドラマティックな構成が見事なうえに、各パートで披露されるそれぞれのクイーン・サウンドの魅力も申し分なく、間違いなくクイーンを代表するナンバーであるとともに、ブリティッシュ・ロック史上に残る名曲の一つと言えるだろう。

 

[モア・インフォメーション]

 アルバム「オペラ座の夜」は、ジョン・ディーコンが作曲して全英チャートの第7位 にランク・インしたシングル・ヒット「マイ・ベスト・フレンド」や、ブライアン・メイ作曲によるトラッド・フォーク風の「’39」、ロジャー・テイラー作曲のハードなロック・ナンバー「アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー」など、各メンバーの音楽的な嗜好を反映した個性あふれる楽曲を数多く収録し、その意味でもファンにとって忘れられないアルバムの一つになったと言ってよいだろう。

  クイーンは、その後も1976年の「華麗なるレース」("A Day At The Race")や、1977年発表の「世界に捧ぐ」("News Of The World")などの優れたアルバムをリリースしてその人気を高めていく。

 なかでも「世界に捧ぐ」からシングル・カットされた「伝説のチャンピオン」は、ヒット・チャートの第1位 を再び獲得するなどクイーンを代表するヒット・ナンバーの一つとなった。さらに、1980年にリリースされたアルバム「ザ・ゲーム」("The Game")からは「愛という名の欲望」と「地獄へ道連れ」の2曲が全米チャートのトップに輝き、アルバムそのものも米国のマーケットで好調なセールスを記録している。

 クイーンのシンボル的存在であり、また、ブリティッシュ・ロック史上で最もカリスマ的なボーカリストと言われたフレディ・マーキュリーは、1991年11月22日に自らがエイズに感染していることを認め、「エイズ患者への偏見を持たないでほしい。そして、力を合わせてこの病に立ち向かってほしい」という趣旨のいわゆるエイズ宣言を発表した。彼は、その二日後にエイズを原因とする合併症によって命を落としている。

  最後になったが、クイーンが2001年ロックの殿堂入り(The Rock and Roll Hall of Fame)を果たしたことを記しておきたい。

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