ロック名曲セレクション


サテンの夜
  ムーディー・ブルース

なごみ
ダンス
ソウル

原題 Nights In White Satin
リリース 1967年
作詞・作曲 ジャスティン・ヘイワード
プロデュース ヒュー・メンディ、トニー・クラーク
演奏時間 7分23秒
収録アルバム 「デイズ・オブ・フューチャー・パスト」(デラム・レコード/1967年)
ミュージシャン ジャスティン・ヘイワード(ギター、ボーカル)、ジョン・ロッジ(ベース、ギター、ボーカル)、グレアム・エッジ(ドラムス)、マイク・ピンダー(キーボード、ボーカル)、レイ・トーマス(フルート、ホルン、ボーカル)、ロンドン・フェスティバル・オーケストラ、ピーター・ナイト(オーケストラ指揮)[曲別 のクレジットがないため、アルバム全体のクレジットを転記]

 

[レビュー]

 ムーディー・ブルースは、ブルースあるいはリズム&ブルースをベースとしたロック・グループとしてそのキャリアをスタートさせ、その後に一部のメンバー交代を経て、繊細かつ奥行きのあるプログレ風のロック・サウンドを展開してブリティッシュ・ロック史上に重要な足跡を残してきたロック・バンドである。

 1964年5月にバーミンガムでステージ・デビューを飾ったムーディー・ブルースは、同年9月にシングル曲「スティール・ユア・ハート・アウェイ」("Steal Your Heart Away")をデッカ・レーベルからリリースしてレコード・デビューを果 たす。バンド結成時のメンバーは、デニー・レイン(ギター、ボーカル)、マイク・ピンダー(キーボード、ボーカル)、レイ・トーマス(ハーモニカ、ボーカル)、クリント・ワーウィック(ベース、ボーカル)、グレアム・エッジ(ドラムス)の5人である。

 メジャー・ヒットとは言い難い結果に終わったデビュー・シングルだが、その後の彼らはセカンド・シングルの「ゴー・ナウ」(1964年11月)を発表し、この曲が全英トップ・チャートを獲得するとともに全米のシングル・チャートでもベスト10入りする大ヒットとなってムーディー・ブルースは人気バンドへの足掛かりを掴む。

 (デニー・レインを中心にレコーディングされた「ゴー・ナウ」は、軽快なワルツに乗って刻まれるブルース調のリズムとデニー・レインの軽妙でシャープなリード・ボーカルが見事に調和して創り上げられた初期のムーディー・ブルースを代表するブリティシッュ・ロックの名曲である)

 その後、メンバー達の努力にもかかわらずヒット曲に恵まれないムーディー・ブルースは、グループの現状に失望したデニー・レインとクリント・ワーウィックが相次いでバンドを去っていくが、彼らに代わってギタリスト兼シンガーのジャティン・ヘイワードとベーシストのジョン・ロッジが新たなメンバーに加わることでグループのサウンドは転換期を迎える。

 ムーディー・ブルースのブレークスルーは、1967年にデッカ傘下のデラム・レコードからリリースしたアルバム「デイズ・オブ・フューチャー・パスト」によってもたらされた。デラミック方式を採用したステレオ・サウンドをアピールするためにドヴォルザーク作曲のシンフォニーによるロック・バージョンを企画していたデッカは、そのためのロック・バンドとしてムーディー・ブルースに白羽の矢を立てる。そして、このチャンスに、既成のクラシック・ナンバーではなくオリジナル作品の採用を強く働きかけたムーディー・ブルースは、レコード会社を説得してフル・オーケストラとの競演による自らのロック・アルバム「デイズ・オブ・フューチャー・パスト」を創り上げたのである。

 本ナンバー「サテンの夜」は、アルバム「デイズ・オブ・フューチャー・パスト」のエンディングを飾る作品であるとともに、このアルバムからシングル・カットされて全米チャートの第2位 まで上昇したムーディー・ブルースを代表するヒット曲である。

 曲は、ドラムスとベースが生み出すディープなリズム・トラックの伴奏で始まり、直後にスタートするボーカル・パートが描く主題部分へと展開する。さらに曲の進展とともにキーボード、バック・コーラス、オーケストラの弦楽パートが追加されてサウンド全体の奥行きが深まり、これに伴って曲はシンプルなブルース調の展開から一転してクラシカルで複雑なアレンジの作品へとその趣きを急変させる。また、フルートとベースを中心に組み立てられる間奏のインスト・パートもロック・ナンバーとしては異色であり、この曲の持つクラシックで構造主義的な楽曲上の特徴を際立たせる。

 エリック・バードン率いるアニマルズが後にカバーしたことからも明らかなように、本ナンバー「サテンの夜」はブルース・フィーリングを強く感じさせる楽曲と言えるだろう。ムーディー・ブルースの音楽的なルーツとも言うべき黒人音楽の手法を用いながらも、キーボードとフル・オーケストラの包み込むような深みのあるサウンドを英国トラッド風の美的な佇まいの中に見事に配置した「サテンの夜」は、ロック・アーティストとしてのムーディー・ブルースの新たなキャリアの出発点を打ち出すとともに、その後の英国ロック界で隆盛するプログレッシブ・ロックのルーツを成した名曲として忘れ難いナンバーであると思うのである。

 

[モア・インフォメーション]

 アルバム「デイズ・オブ・フューチャー・パスト」は、キーボードの多用とフル・オーケストラとの競演によるサウンドの多重化に加え、夜明けから夜の訪れまでの一日の時間の経過をコンセプチュアルに描くという作品のテーマ性においてもムーディー・ブルースにとって新たな基軸を打ち出す斬新なアルバムとなった。また、「デイズ・オブ・フューチャー・パスト」からは、「サテンの夜」とともに「永遠の昼下がり」がシングル・カットされ、この曲も英米でチャート入りを果 たすヒットを記録している。

 その後のムーディー・ブルースは、「失われたコードを求めて」("In Search Of The Lost Chord"/1968年)、「夢幻」("On The Threshold Of A Dream"/1969年)、「子どもたちの子どもたちの子どもたちへ」("To Our Children's Children's Children"/1969年)などのアルバムを発表してコンセプチュアルかつプログレッシブなロック・サウンドを追求し続け、1971年発表のアルバム「童夢」("Every Good Boy Deserves Favour")でその音楽的な完成度は頂点を迎える。(「童夢」は、全米のアルバム・チャートで第2位 にランク・インする大ヒット・アルバムとなった)

 一方、結成当時のムーディー・ブルースを事実上のリーダーとして牽引し、「ゴー・ナウ」のシングル・ヒットを生み出す原動力となったデニー・レインは、70年代に入ってポール・マッカートニー率いるウイングスへ参加し、ギタリスト、シンガー、ソングライターとして「バンド・オン・ザ・ラン」(1973年)、「ヴィーナス・アンド・マース」(1975年)、「ロンドン・タウン」(1978年)等の多くのヒット・アルバムの制作に携わるなどポールの長期にわたる重要なパートナーとして実績を残している。

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