ビートルズ特集


バディ・ホリー/Buddy Holly


 1936年、テキサス州ラボックの生まれ。1950年代の後半を彩ったロックンローラー、ソングライターの一人。カントリー、ロカビリー、リズム&ブルースなどの影響を受けながらも独自の作曲と歌唱のスタイルを持ち、ビートルズローリング・ストーンズなどの60年代以降のロック・バンドに多大な影響を与えた。

 少年時代からの友人であったボブ・モントゴメリーとのデュオなどで、50年代の初頭から音楽活動をスタートしていたバディ・ホリーだが、全米チャートに入るヒットを放ったのは1957年5月にリリースされた "That'll Be The Day" が初めてであった。ニュー・メキシコにあるノーマン・ペティのクローヴィス・スタジオでレコーディングされたこの曲は、全米と全英の双方のヒット・チャートで第1位 を獲得する大ヒットとなったのである。

 その後も、ロックバンドのクリケッツを率いるバティ・ホリーは、ノーマン・ペティのプロデュースのもとで、"Words Of Love" (1957年)、"Oh, Boy!" (1957年)、"Maybe Baby" (1958年)、"Think It Over" (1958年) などのヒット・ナンバーを連続して生み出していく。また、その一方ではソロ・シンガーとしての活動も継続しておこなわれ、"Peggy Sue" (1957年)、"Rave On" (1958年) などのヒット曲が、バディ・ホリー個人のクレジットのもとに発表されている。

 テキサス州の出身らしく、バディ・ホリーの作品からはカントリー・ミュージックの影響が強く感じられるが、同時に、個々の旋律には黒人音楽からの影響を滲ませるユニークなものが多く、デビュー当時のビートルズが彼らのフェイバリット・コンポーザーとしてゴフィン&キングとともにバディの名を挙げていたこともうなづけるほどに、バディ・ホリーの楽曲には独特のセンスと個性があふれている。

 また、ローリング・ストーンズのカバー・バージョンでも知られる "Not Fade Away" ではボー・ディドリーのジャングル・ビートをいち早く白人の音楽マーケットへ紹介し、"Words Of Love" (1957年) においては早くもこの時期にダブルトラック・ボーカルを試みるなど、音楽、レコーディング・テクニックの両面 でバディ・ホリーが時代を先導していた一面をうかがうことができる。

 バディ・ホリーは、その人気が絶頂にあった1959年2月3日に、移動中の飛行機事故によって命を落とした。「ロックンロール・トゥループス」と名付けられたロック・ショーのために、チャーター機で次の公演地へ向かう途上で起こった悲劇であった。また、この飛行機には、当時の人気ロック・スターであったリッチー・バレンス (「ラ・バンバ」や「ドナ」のヒット曲で知られる) やビッグ・ボッパーが乗り合わせており、この事故によって、彼らもまた帰らぬ 人となった。当時のロック・ファンは、1959年を「ロックンロールが死んだ年」と呼んだと伝えられる。

 しかし、ロックが死ぬことはなかった。バディ・ホリーが遺したサウンドとスピリットは、次世代のミュージシャンによって受け継がれていく。"That'll Be The Day"リンダ・ロンシュタットに、また、先にも触れた "Not Fade Away"ローリング・ストーンズや女性カントリー・シンガーのタニヤ・タッカーによってカバーされた。加えて、"Peggy Sue" がビーチボーイズやソロ時代のジョン・レノンによって歌われているほか、"Think It Over""Heartbeat" (1958年) がホリーズらのカバーでよみがえるなど、バディ・ホリーのヒット曲の多くが、彼の後継者とも言うべきミュージシャン達によって歌い継がれている。

 ロックシーンの最前線でスポット・ライトを浴びた期間はわずか18ヶ月と、あたかも流星のごとき輝きを放って去っていったバディ・ホリーだが、彼の音楽のみならず、その生涯までもが映画やミュージカルの題材として繰り返し使われるなど、彼がポップス史上に残した影響力の大きさは、時間の経過によっても翳りを見せることはないのである。

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