ジャニスの祈り | |
ジャニス・ジョプリン |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Move Over |
リリース | 1971年 |
作詞・作曲 | ジャニス・ジョプリン |
プロデュース | ポール・A・ロスチャイルド |
演奏時間 | 3分43秒 |
収録アルバム | 「パール」(ソニー/1971年) |
ミュージシャン | ジャニス・ジョプリン(ボーカル)、ジョン・ティル(ギター)、ブラッド・キャンベル(ベース)、クラーク・ピアスン(ドラムス)、ケン・ピアスン(オルガン)、リチャード・ベル(ピアノ) |
[レビュー]
稀代の女性ロック・シンガー、ジャニス・ジョプリンは、1943年1月、米国テキサス州のポート・アーサーに生まれた。
1966年にボーカリストとしてビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーに迎えられたジャニスは、1967年6月に開催されたモンタレー・ポップ・フェスティバルでメンバーとともに「ボール・アンド・チェイン」を熱唱し、一躍、批評家並びに業界関係者の注目を集めるところとなる。
そして、このステージを機にコロンビアとの契約にこぎつけたビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーは、1968年に彼らの事実上のデビュー・アルバム「チープ・スリル」をリリースし、これが全米アルバム・チャートの第1位 を獲得することで、グループとジャニスの名声は全米を駆け巡ることとなった。(正確には、彼らは1967年の「ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー」でアルバム・デビューを果 たしている)
その後、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーの演奏能力に不満を持つ周囲からの薦めもあってグループを離れたジャニス・ジョプリンは、1968年にアルバム「コズミック・ブルースを歌う」を発表してソロ・シンガーとしてのキャリアをスタートさせる(このアルバムも全米チャートで第5位 にランクインするなど高い評価を受けることとなった)。
これらの遍歴の後に、ジャニスが巡り合った彼女にとっての「理想のバンド」がフル・ティルト・ブギーであり、彼らとともにレコーディングした最初で最後のアルバムが1971年リリースの「パール」である。
本ナンバー「ジャニスの祈り」は、アルバム「パール」のオープニングを飾る曲だが、ジャニスがフル・ティルト・ブギーのメンバーとともに目指していた音楽の方向性を顕著に示す作品の一つと考えられる。
曲は、イントロのドラムスに続くジャニスのボーカルと、ボーカル・ラインにフレーズを重ねてユニゾンを形成するギター・ソロによってスタートする。曲が進むにつれて、リズムを打っていたベースがギターと同様のフレーズに変化することで三者(ボーカル、ギター、ベース)によるユニゾンが構成され、さらに、ドラムスのトラックが力強さを増して変化するタイミングに合わせてオルガンのオブリガートが印象的に挿入される。加えて、展開部に至ると、オルガンのパートが前面 に出るとともに、繋ぎのフレーズをピアノが奏でることによって重層的な構造がさらにその印象を強めていく。
フル・ティルト・ブギーはその高い演奏能力によってジャニスを満足させたと伝えられるが、のみならず、曲全体のコンセプトを踏まえた楽曲としての構築能力においても高いレベルの実力を発揮していると言うべきであろう。
そして、その構築力に支えられて、ジャニスのボーカルはハードなシャウトから繊細さを垣間見せるパートまでを見事な表現力で歌い上げているのであり、この相互の影響力こそが、ジャニスがバック・バンドとのコンビネーションとしてフル・ティルト・ブギーに求めたものではなかっただろうか。言い換えれば、このリクエストに応える十分な能力を有していたが故に、フル・ティルト・ブギーはジャニスにとっての「理想のバンド」になり得たと考えられるのである。
[モア・インフォメーション]
「パール」は、クリス・クリストファーソン作曲のカントリー・タッチのナンバー「ミー・アンド・ボビー・マギー」(シングルとしてリリースされ、1971年の全米チャートで第1位 )や、無伴奏のアカペラで切々と歌われるジャニスの自作曲「ベンツが欲しい」、また、タメを効かせた深いリズムが印象的な「トラスト・ミー」(作曲はボビー・ウーマック)など、ジャニス・ジョプリンの代表的なナンバーを多く含むことにより、彼女の最高傑作と位 置付けられるアルバムになった。
(アルバム「パール」のプロデューサーであるポール・A・ロスチャイルドは、ドアーズのオリジナル・アルバムの多くをプロデュースしたことでも知られる人物である)
理想的なサポート・メンバーを得て、自らの音楽キャリアにおける新たなスタートを切るかに見えたジャニスだったが、アルバム「パール」の完成を待つことなく、1970年10月4日、ハリウッドのランドマーク・モーター・ホテルにおいて、ヘロインの過剰摂取によりその若い命(享年27歳)を散らすこととなる。
はからずも、アルバム・クレジットとして「パール」に記された「私たちを微笑ませてくれたすべての良き人たちへ」という言葉が、ジャニスからの最後のメッセージとなったのである。
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