ワイルドで行こう | |
ステッペンウルフ |
なごみ
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ダンス
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ソウル
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原題 | Born To Be Wild |
リリース | 1968年 |
作詞・作曲 | マース・ボンファイア |
プロデュース | ガブリエル・メクラー |
演奏時間 | 3分28秒 |
収録アルバム | 「ステッペンウルフ」(ダンヒル/1968年) |
ミュージシャン | ジョン・ケイ(ボーカル、ギター)、マイケル・モナーク(ギター)、ゴールディ・マックジョン(キーボード)、ラシュトン・モレイ(ベース)、ジェリー・エドモントン(ドラムス) |
[レビュー]
カナダ出身のハード・ロック・バンド、ステッペンウルフは、1968年にダンヒル・レコードからシングル・ナンバーの「スキー・スキー」をリリースしてレコード・デビューを飾り、同年に発表したセカンド・シングルの「ワイルドで行こう」が全米チャートの第2位 へランク・インするヒットとなって人気バンドの仲間入りを果たした。
グループのリード・ボーカリストであり、実質的なリーダーとしてステッペンウルフを牽引したジョン・ケイは、1944年生まれ、ドイツの出身。1958年に母親とともにカナダのトロントへ移住したケイは、多感な10代をロック、ブルース、カントリーなどの音楽とともに過ごし、やがてロック・ミュージシャンへの道を歩むことを決意する。
ジョン・ケイの目標は、ケイを中心に1965年に結成されたブルース色の濃いロック・バンド、スパローのレコード・デビューによってかなえられるが、ヒット曲に恵まれないスパローは金銭的な問題も浮上して1967年に解散に追い込まれる。
目標を見失ったかに思えたジョン・ケイに救いの手を差し伸べたのは、ダンヒル・レコードのスタッフ・プロデューサー、ガブリエル・メクラーであった。メクラーから新グループの結成とダンヒルとのレコード契約を奨められたケイは、スパロー時代のバンド・メイト(キーボード奏者のゴールディ・マックジョンとドラマーのジェリー・エドモントン)に二人の新メンバー(ギターのマイケル・モナークとベースのラシュトン・モレイ)を加えてステッペンウルフをスタートさせる。
ドイツの文豪、ヘルマン・ヘッセの作品「荒野の狼」からグループ名を選んだステッペンウルフは、デビュー・アルバム「ステッペンウルフ」からの2枚目のシングル「ワイルドで行こう」が米国映画「イージー・ライダー」のオープニングに使用されたこともあって全米での大ヒットを記録。以後、グループは、当時のハード・ロックを代表する人気バンドとしてヒット街道を邁進していく。
本ナンバー「ワイルドで行こう」は、すでに述べたとおり全米規模での大ヒットを記録した曲だが、加えて、後にハード・ロックの一ジャンルの呼称として定着する「ヘヴィ・メタル」という表現をロック史上に初めて登場させた記念碑的なナンバーとしても知られている。(「ワイルドで行こう」の歌詞の一部に「ヘヴィ・メタル・サンダー」という言葉が登場するが、これがきっかけとなって「ヘヴィ・メタル」と呼ばれる音楽ジャンルの名称が誕生する)
曲は、シャープなドラムス、アグレッシヴなギターとこれにフレーズを重ねるベース・ラインの重奏でその幕を開け、ジョン・ケイのワイルドなボーカル・パートへと引き継がれる。本編の第一主題ではジョン・ケイのボーカル・ラインに対してギターとキーボードの猛々しいサウンドがオブリガート気味に挿入されるが、サビの部分に至ると一転してギター、キーボードがボーカルのメロディ・ラインにユニゾン風の旋律を重ね、その後のインストのソロ・パートへと違和感なく展開していく。
ロックのサウンドが複雑さを増しつつあった時代を背景に、本ナンバー「ワイルドで行こう」は曲の全編にわたって同じスタイルのシンプルなアレンジを貫き、最小限のユニットによるロックンロール本来の魅力をストレートに表現している。ブルースの影響をうかがわせる独特のフレージングの中にシャープで軽快なリズム感が息づく「ワイルドで行こう」は、まさしくハード・ロック、ヘヴィ・メタルの原点とも言うべきロック史に残る名曲の一つであろう。
(「ワイルドで行こう」の作曲者としてクレジットされているマース・ボンファイアは、スパロー時代のジョン・ケイらのバンド・メイト、デニス・エドモントンのペン・ネームである)
[モア・インフォメーション]
ステッペンウルフのデビュー・アルバム「ステッペンウルフ」は、「ワイルドで行こう」に加え、ドン・コヴェイ作曲の彼らのデビュー・シングル「スキー・スキー」、タイトルや歌詞の内容からもチャック・ベリーを意識したことが明らかな50年代ロックへのオマージュ「ベリー・ライズ・アゲイン」、マディ・ウォータースの名唱で知られるシカゴ・ブルースの名曲「フーチー・クーチー・マン」などグループの音楽的ルーツとサウンドの嗜好が明確にうかがわれるナンバーを多く含み、彼らのデビューを飾るにふさわしいアルバムに仕上がっている。
ステッペンウルフは、その後も1968年に「ザ・セカンド」("The Second")、1969年に「モンスター」("Monster")などのヒット・アルバムを発表して独自のハード・ロック路線を押し進めていく。また、これらのアルバムからは「ザ・セカンド」に収録の「マジック・カーペット・ライド」や「モンスター」からシングル・カットされた同名曲などのヒット・ナンバーが生まれ、ステッペンウルフの人気は揺らぎようのないものとなっていった。
しかしながら、絶えまなく続くツアーとレコーディングによるメンバーの疲弊を理由に、グループは1972年2月14日に解散を宣言。彼らが自らのホームグラウンドとして親しんだロサンゼルスの市長は、この日を「ステッペンウルフの日」に指定したと言われる。
その後、ステッペンウルフはオリジナル・メンバーを中心に1974年に再結成され、アルバム「スロー・フラックス」("Slow Flux")をリリースする。また、80年代に入ってからも、ジョン・ケイが新たなメンバーを集めてジョン・ケイ&ステッペンウルフを結成するが、いずれもかつてのようなファンの熱狂的な支持を得ることはできず、グループとしての長期の活動には至っていない。
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